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90 :藤川少年の事件簿 ◆Uw02HM2doE :2010/06/29(火) 00 25 30 ID i0VP7bYw こんにちは。僕は藤川英(フジカワハナ)と言います。 とある高校の二年生をやっています。 そして趣味…まあ趣味ですかね。とにかく何でも屋みたいな物をやっています。 これが意外と最近有名になってきて、色々な依頼を受けるようになりました。 今回はその一つをご紹介しようと思います。 Case1『埋め女』 「埋め女の呪い?…聞いたことないけど」 放課後の生徒会室。 ここが僕ら、何でも屋の本拠地である。先に依頼主の話を聞いていた、 目の前の女の子でメンバーの白川潤(シラカワジュン)に依頼内容を説明してもらっている。 「知らないの英!?一年間ここで過ごしてきたのに!?」 「…むしろまだ一ヶ月しか過ごしてない潤が知っている方が驚きなんだけど」 「女の子は情報網が半端ないの!ま、英には分からないだろうね」 何故か胸を張る潤。…高一でこの発育、日本もまだ捨てたもんじゃないね。 「ははは、確かに女の子は色々知ってるもんね。で、その埋め女の呪いって言うのは?」 「うん。20年くらい前の話なんだけどね…」 随分古いね。そして何故トーンを落とす必要があるのだろう。 「ある日から学校の女の子が毎日行方不明になるって事件が起こったの」 「そりゃあただ事じゃないね」 「さらに同じ日から校庭の大きな庭に数字がかかれるようになったの。10から始まって毎日カウントダウンみたいに刻まれてゆく…」 「それで?」 「日に日に被害者の女生徒と数字が反比例して、ついにカウントダウンが0になると…」 「…なると?」 何故かためる潤。稲川ナントカの真似でも覚えたのだろうか。 「校庭の庭の花が一斉に血のように紅くなって、その庭の中から行方不明だった女生徒達の死体が見つかったの!」 潤はクワッ!と目を見開いて熱演する。最近ホラー映画でも見たのだろう。 91 :藤川少年の事件簿 ◆Uw02HM2doE :2010/06/29(火) 00 27 03 ID i0VP7bYw 「わぁ、ビックリだね」 「でしょ!?まさに学校の怪談よ!キタロウもビックリだわ!」 そんなに興奮することなのかな。というかキタロウは何か違う気がする。 「そうだね。それでその恐ろしい怪談が、今回の依頼と何の関係があるの?」 「それがね、依頼人の男子の家の庭が全く同じ状況なんだって!で、怖いから調べてくれっていう依頼です」 満足げに語る潤。…何か胡散臭いよ、その依頼。 「えっと…要(カナメ)は何て言ってたの?」 「"鍛えなきゃいけないからパス"だってさ。本当にビビりなんだから」 …逃げたんだね要。リーダーのくせに。 「じゃあ行こうか!」 「……僕らだけで?」 「こんなの私達だけで十分だよ!さっ、依頼人の庭に行くよ!」 僕は潤に腕を引っ張られて連れていかれた。…まともな依頼だと良いけど。 僕らは依頼人である2年5組、佐藤勇気(サトウユウキ)君の家の庭にいる。 「…確かにこれは数字だね。しかも…」 目の前の庭には大きく1という数字が書かれていた。というか掘られていた。 「もうカウントダウン、後僅かじゃない!」 「し、仕方ないだろ!?だって怪談を知ったのは昨日だし!そ、それにただの悪戯だと思って…」 まあ普通はそう思うだろうね。僕でもそう思う。 「と、とにかく頼んだからね!」 そう言うと佐藤君は家の中に入ってしまった。 92 :藤川少年の事件簿 ◆Uw02HM2doE :2010/06/29(火) 00 28 14 ID i0VP7bYw 時刻は12時ちょっと前。結局庭を調べても何も分からなかったため、 犯人がカウントダウンする現場を抑えることした。 「やっぱり張り込みにはパンと牛乳だね」 モフモフとパンを食べる潤。小動物みたいだ。その後ろでは佐藤君が震えている。 「…怖いなら部屋にいた方が良いんじゃないかな?」 「き、気になって眠れないんだよ!」 何だかやりにくいな。しかし本当に来るんだろうか。それよりお腹空いたな…。 「っ!英、誰か来たよ!」 「…本当に来たよ」 「ひぃ!?」 潤の指差す方向には確かに人影が見えた。しかもシャベルみたいな物を持っている。 こりゃあ現行犯だね。 「さ、出番だよ英っ!」 「…やっぱりですか」 「は、早く捕まえてくれっ!」 …佐藤勇気君は名前変えた方が良いかもね。佐藤意気地無し君とかに。 まあ文句を言っていても仕方ないので、犯人に近付く。 「カウントダウンは止めてもらえると助かるかな」 「っ!?」 声をかけると犯人はいきなりシャベルを振り回してきた。 「あらら」 「くっ!ちょこまかと!」 声からして、女の人だった。よく片手でシャベルを振り回せるなぁ。 …ウチの女性陣は別だけど。 「何かっ!佐藤君にっ!恨みでもっ!あるん!ですか!」 シャベルをかわしながら呼び掛ける。 「うるさいっ!彼の名前を気安く呼ぶなっ!今日は私と彼の記念日なんだ!」 「…記念日?」 「英、お疲れ様!」 「なっ!?」 後ろから潤の回し蹴りが犯人に炸裂した。犯人はその場に倒れる。 よく見ると女の子だった。ウチの制服を着ているので、生徒のようだ。 「ふぅ…。もう少し早く助けてくれると嬉しいんだけど」 「だって動機を聞きたかったんだもん。まあ結果オーライだね」 シャベルで追い回される気持ちにもなってほしいんだけど。 「つ、捕まえたのか!?」 佐藤君が近付いてきた。その声に反応したのか、犯人の女の子が立ち上がる。 「さ、佐藤君?」 「えっ?……安藤さん?」 「お知り合いでしたか」 「あれ?呪いは?」 どうやら何かありそうだった。 93 :藤川少年の事件簿 ◆Uw02HM2doE :2010/06/29(火) 00 29 30 ID i0VP7bYw 「記念日…ですか」 「わたしと佐藤君が…去年の今日、初めて出会った記念日なんです!」 興奮して話すのは2年4組、つまり僕のクラスメイトの安藤静香(アンドウシズカ)さんだった。 安藤さんはポニーテールを揺らしながら話し続ける。 「わ、わたしずっと前から…さ、佐藤君のことが…す、好きで…で、でも言い出せなくて…。だから気付いて…気付いて欲しくて」 だからって人の家の庭を勝手に掘って良いんだろうか。 「そ、それで…埋め女の話を思い出して…利用しようって」 「…安藤さん」 「き、嫌いに…なりましたよね?」 あれ?何でシャベルを掴んでいるのかな、安藤さん。 「き、嫌いになんてなってないよ!」 「さ、佐藤君?」 「お、俺も前から…安藤さんのこと気になってたんだ!」 「佐藤君…っ!」 「…チッ」 こら、潤さん。さりげなく舌打ちしないの。もっとやりなさい。 「もし良かったら…俺と付き合ってくれ!」 「…はい!」 抱き合う二人。…まあ大事にならなくて良かった。 「じゃあ今日から恋人だね!」 「ああ!」 「じゃあもう隣のクラスの佐川さんとも、同じ部活の中村先輩とも話さないよね!」 「ああ!…えっ?」 安藤さんの抱きしめる力が強くなった気がする。 「それに今週の土曜に約束していた馬場さんとのデートもキャンセルしてね!」 「…な、なんでそんなこと…」 佐藤君の顔が青ざめている。冷や汗も出ているようだった。 「何でって…。大好きだからに決まってるでしょ!絶対に逃がさないんだから!」 「あ、あ…」 何だろうね、安藤さんがポケットから出したあの注射器は。 「…依頼は完了したみたいだし帰ろうか、潤」 「…そだね。何か疲れちゃったよ」 「ま、待ってくれ!助け…!」 立ち去ろうとする僕らを佐藤君が呼び止めるが 「ありがとう!お二人のおかげで結ばれました!」 安藤さんが佐藤君の首に注射をして黙らせていた。 「「お幸せに~」」 結局埋め女の呪いとは関係無かったようだ。 94 :藤川少年の事件簿 ◆Uw02HM2doE :2010/06/29(火) 00 30 28 ID i0VP7bYw あれから一週間経った。 佐藤君と安藤さんは校内でも有名なラブラブカップルになったようだ。 …佐藤君の目に生気がないのは僕の気のせいだと思う。そして今日も生徒会室へ。 今度こそ、僕の知的好奇心を刺激する依頼が来ていることを願って。 「英、良いところに来たね」 生徒会室には透き通った白い髪が良く似合う、春日井遥(カスガイハルカ)がいた。 彼女もメンバーの一人だ。 「遥一人なんて珍しい。良いところって…もしかして依頼かな?」 「当たり。相変わらず勘が鋭いね」 来た。今度こそ良い依頼であることを神に祈る。 「一体どんな依頼なのかな?」 「その前にね、英」 「何?」 「…埋め女の呪いって、知ってる?」 「…………」 どうやら神は僕を見放したようだった。
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100 :ヒキコモリと幼馴染 ◆wzYAo8XQT. [sage] :2008/05/01(木) 13 18 45 ID i6U3Ixs2 「お、7777だ」 僕がよく行く、全員が固定ハンドルネームをつける馴れ合い掲示板がある。 今日もいつものようにいったら、アクセスカウンターが7777という、縁起のよさそうなキリ番になっていた。 「七誌さん、おめでとう~」 「ちくしょー、俺が踏むつもりだったのに!」 「七誌オメ」 すぐに掲示板にそんなカキコミがならんだ。 ちなみに七誌とは、僕のハンドルネームである。 7777、いかにもいいことがありそうな数字じゃないか……といっても、ヒキコモリの分際でにいいこともなにもないか。 僕は、そのキリ番を踏んだことを少しうれしく思いながらも、その喜びはすぐにこの“ヒキコモリ"という、負け組としかいいようのない、自分の境遇に対する絶望に上書きされてしまった。 僕は一つため息を吐くと、掲示板にキリ番を踏んだことの報告をし、そのまま別のサイトを開いた。 ちょうどそんな時だ。俺の部屋の窓ガラスがコツコツ、と鳴ったのは。 カーテンがしてあり、外の様子は窺い知れないが、その音の原因ははっきりと分かってる。 だから、僕はそれを無視して、またサイトを眺める。 「信也くん、起きてるよね」 うるさい。 その声自体は、大して大きくもなく、いや、むしろ遠慮がちで、うるさいという形容詞からは程遠い声だ。 だが、僕にとっては、うるさくて、不快でしかたがなかった。 ヒキコモリ続けて早半年。 教師なんて言うまでもない。心配し、そして叱責してきた父、媚び諂ったかと思えば、何をどう考えたのか知らないが、自殺未遂までしてみせた母。 彼らですら、とうの昔に僕に干渉し、社会復帰させることを諦めてしまっている。 それなのに。 そんな中、この糞女――古閑風香、僕の幼馴染だ――だけは、未だに僕に対して接触を謀ってくる。 いい加減にして欲しかった。 彼女が知っている昔の僕とは違って、もはや現実世界をまともに生きていく気なんて微塵もなく、 パソコンの中のささやかな幸せや楽しみが世界の全てとなっている僕にとっては、現実世界をまともに生きている彼女は、それだけで、存在するだけで、僕にとっては猛毒にも等しい。 その猛毒が、積極的に自分にアプローチをはかってくるのだ。 小鳥のさえずりの様な可愛らしい声も、小動物のような、キョトキョトとせわしなく動く仕草も、僕にとっては、聴覚や視覚に訴えかけてくる毒に他ならない。 それなのに、彼女は僕の気持ちなどまったく顧みず、どんな罵声を浴びせようと彼女は毎朝毎晩僕にいちいち接触を試みてくる。 うんざりだった。 もう僕は経験から、どんな誹謗中傷も意味を成さないことを知っている。 だから僕が取る選択はたった一つ。 無視だ。 息を殺し、じっと彼女が立ち去るのを待つ。 しかし、いつもはしばらく無視すれば立ち去るというのに、今日はいつになっても立ち去らず、それどころか、起きてるのは分かってるだの、出てきてくれだの、僕に声をかけてきやがる。 時計を見ればもう九時、とっくに学校は始まってるはずだ。 と、そこで気づいた。今日は土曜日、休日だ。 最悪だ。もう寝た振りしていてもしょうがない。僕はパソコンをカチカチを弄り始めた。 「あ、やっぱり信也くん起きてたー。ねえ、今日はいいことあったんだから、久々に外に出てみようよ」 なんてヤツだ。僕がこれだけ無視しているのに、まったく意に介した様子も無く、明るい口調で話しかけてきやがった。 最悪だ。 僕はヘッドホンをつけると、大音量で音楽を流し始めた。そろそろ寝ようと思っていたのに、とんだ災難だ。 しかも、こんな生活をしている僕に、いいことなんてあるわけないだろ。しいて言えばあの掲示板のキリ番を踏んだくらいだ。 その思考に至った瞬間、背筋に寒気が走った。 いや、まさかそんなはずはない。僕がいつもアクセスしている掲示板でキリ番を踏んだことなんて知っているはずもない。ただの偶然。ただ僕の気を引くためのでまかせがちょうど当たったってだけだ。 101 :ヒキコモリと幼馴染 ◆wzYAo8XQT. [sage] :2008/05/01(木) 13 19 42 ID i6U3Ixs2 音楽で彼女が何を言っているかは分からないが、まだ彼女がいて、何かを言っていることも分かる。 彼女は何を言っているのだろうか。まさかとは思うが、僕を監視していたりするのではないか。 僕は、ヘッドホンを外した。 馬鹿馬鹿しい。ただの偶然なのに。 自分で自分に嘆息する。ヒキコモリ生活のせいだろうか、こんなくだらない妄想に囚われるなんて。これは彼女の言に従うわけではないが、少し外に出たほうがいいのかもしれない。 「ね? 一緒に神社まで散歩しようよ、ほら、いい天気だよ」 外にでるっていっても、てめえと一緒に出る気なんてさらさらねえよ。 「ほら、紅葉でも見たいって言ってたよね? 神社なら綺麗だよー」 僕はガタンと跳ねた。 当然、僕が彼女にそんなこと言ったわけじゃない。家族とだってもう随分会話してないんだ、まして他人なんかとそんな会話をしているわけが無い。 しかし僕は思い当たる節があった。 あの掲示板に、紅葉の写真が添付されたときに、見に行きたいと書いていたのだ。 いいことがあったとか、紅葉を見に行きたがってるとか、どうして知ってるか。 誰でもすぐにこの思考に至るだろう。 『アイツはこの掲示板を知っていて、俺の固定ハンドルも知っている』 糞っ! 胸糞悪い。一体どこから洩れたんだ! つまり今までずっと僕のカキコミは彼女に駄々漏れだったってことか。 思わずキーボードを机に叩きつけて破壊しそうになった。しかし破壊してしまえば、外界と接触を取らざるをえなくなるため、すんでのところでそれを堪えた。 「死ねこのストーカー女! 気持ち悪いんだよ! 警察に通報するぞ!!」 意味が無いと分かっていながらも、窓の向こうのアイツに向けて悪態を吐く。 返事は、無い。 糞っ! 再び悪態を吐いた後、僕はこの掲示板のブックマークを削除するために、ブラウザのブックマーク一覧を開いた。 ブックマークにマウスの矢印を重ねて左クリック。 それを実行しようとした瞬間、窓ガラスがコツン、と鳴った。 誰もいないものと思っていた僕は驚いて、その拍子に右クリックしてしまった。 そのことによって掲示板は更新され、現在の書き込みが表示された。 その更新されていた内容。それを見て、僕は愕然とした。 「どうして分かってくれないの?」 「私はあなたのことを思っているだけなのに」 「誰がなんと言っても、私だけは信也くんの味方だから」 僅か数分の間に書き込まれていた書き込み。 そして、その書き込みを行っているハンドルネームは一つだけではない。 この掲示板の、主に書き込みをしている住人全員のものだった。 愕然とし、咄嗟に窓ガラスのほうを向く。 窓ガラスにはカーテンがかかっていて、外の様子は窺い知れない。 でも……。 僕はゴクリと唾の飲み込み、深呼吸をすると、意を決してカーテンの前まで歩く。 目を瞑り、開き、勢いよくカーテンを開けた。 朝の眩しい陽光が注がれる。 反射的に目を覆い、そしてその手を序々にずらす。 そこにあったのは、ただの何の変哲も無い庭だった。 はあ……と安堵のため息を漏らす。 まあ特にあの女がいなかったからいなかったからといって、何の問題の解決になる訳でもないのだが。 それでも安心して、カーテンを閉じると、もう一つため息を吐いて、天井を仰いだ。 そして、風香と目が合った。 思考は停止し、目のピントは固まってしまったかのように、彼女の目から逸らす事ができない。 天井板の一部を外し、天井から風香が僕を見ていた。 「信也くんのこと、ずっと見ているよ」
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204 :最果てへ向かって(1/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 01 04 ID LEyxcZKH 「発射180秒前。79、78、77……」 カウントダウンの無線交信が聞こえる。今、僕が居るのは外宇宙探査船の操縦室だ。 3分後、僕と彼女は二人、宇宙という漆黒の大海原への大航海に出るのだ。 同時多発的に打ち上げられる第二次外宇宙探査隊。 その最初の打ち上げを直前に控え、地上との無線交信も緊張感に満ちている。 無論、僕もそれは例外ではない。心臓がドクンドクンと大きな音を立てて動いているのが感じられる。 「120秒前。19、18、17……」 ……数年前に派遣された第一次探査隊は全滅した。その理由は公表されていない。 原因究明を待つべきだという意見が大半を占めていたが、結局二度目の探査が行われる事になった。 「失脚を恐れた官僚の仕業」「第一次隊は無事で、これは予算を稼ぐの嘘」なんて噂もあった。 僕にはその真偽はわからない。知る必要もない。重要なのはこの任務を成功させられるか否かなんだ。 「90秒前、89、88、87……」 カウントダウンの合成音声はただただ冷淡に発射までの時を告げる。 目線を感じて顔を横に向けると、そこにはバイザー越しに彼女の柔らかな笑顔があった。 ――大丈夫、上手くいくよ そう語りかける様な視線が僕に向いている。ただそれだけで、僕の緊張が若干和らいだ気がした。 205 :最果てへ向かって(2/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 01 45 ID LEyxcZKH 思えば僕は彼女にずっと支えられてきた。 第一次探査隊が全滅したというニュースを聞いた時、愕然とする僕を励ましてくれたのは彼女だった。 第二次探査隊の募集に真っ先に参加しようと言い出したのも彼女だった。 周囲の大反対にも粘り強く説得を重ね、前後して僕たちを襲ったストーカー騒ぎにも負けずに。 最後の方は僕よりもむしろ彼女の方が熱心だった気さえしてくる。 候補に選ばれてからの厳しい訓練に、挫けそうになった僕を叱咤激励してくれたのも彼女だ。 「ちょっと、こんなところであきらめる気? 冗談じゃない。今までの努力はどうなるの? 夢の実現は? 」 その厳しい声に何度助けられた事か。だから僕は彼女に全幅の信頼を寄せている。 彼女とならどんな事態でも乗り越えていける。そんな万能感が僕にはあった。 「発射60秒前。59、58、57……」 とうとう発射まで一分を切った。僕たちは発射前の最終チェックに追われている。 何重にも張り巡らされた管理コンピュータシステム。その全てが万全の状態を表すグリーンを示していた。 僕たちに出来るのはここまで。あとは何かに祈る事ぐらいしか出来ない。 「発射10秒前。9、8、7、メインエンジン点火」 エンジンに火が入る。周囲に響き渡る轟音。緊張の一瞬。ここまで来たらもう引き返せない。 コンピュータを、地上スタッフを、技術者達を。そして何より傍らに居る彼女を、信じるしかない。 今まで幾多の困難を乗り越えてきた僕たちなら、大丈夫だと。 「……4、3、2、1、0。リフトオフ! 」 ――この計画の第一段階にして最大の難関、地上からの打ち上げは無事成功した 206 :最果てへ向かって(3/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 02 26 ID LEyxcZKH 「コンピュータ、手動チェック、そのどちらも問題有りません。現在……」 彼女は地上基地との交信に追われている。計器パネルに目を走らせる度に短い黒髪がふわりと動く。 その重力から解き放たれた姿を見てああ、今僕は宇宙に居るんだなという事を再認識する。 と、彼女の顔が僕の方を向く。その視線は作業を止めている僕を咎めるものだ。 僕は急いでコンピュータに向きなおると、再び次の行程への準備に取り組み始めた。 この探査船は、従来までの問題点を解決した最新鋭の超光速宇宙船だ。 完全循環型のシステムは乗組員3人までのほぼ半永久的な生命維持を保障する。 巡航速度の問題を外部と内部で時間の流れを変化させるという魔法のような方法で解決した。 これは同時に乗組員の寿命による探査期間の制約も緩和する。 だがその代償として一切の無線交信が不可能になってしまう。次の交信は機内時間で一週間後だ。 その間に地球ではどれだけの時が流れているのだろうか。 社会情勢の変化によっては、知り合いが皆死んでいるという事さえ有り得るのだ。そう考えると心細くなる。 「……では準備が出来次第、巡航フェーズへと移行します。交信終了」 そして、もしかしたら最後になるかもしれない地球との交信が、終わった。 「遂に、ここまできたんだね。」 感慨深げな声に振り返ると、そこにあったのは若干苦笑い気味の笑顔だった。 「まさか本当に君とここにこれるなんて、思ってもみなかったよ。」 そう。とうとう幼い頃からの夢が現実となったのだ。 努力だけではこの場所に立つ事は出来なかった。その裏には数多くの幸運があったに違いないのだ。 僕は彼女に笑顔を返すと、画面上で返事を待つコンピュータにエンターキーで回答した。 そして、船は巡航モードに移行する。 207 :最果てへ向かって(4/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 03 12 ID LEyxcZKH シートベルトを外し、機体後方へと直線的に移動する。訓練したとはいえ無重力下での移動にはまだ不慣れだ。 分厚いドアを潜り抜けると、そこにあるのは暖色系の照明に彩られた居住スペースだ。 さらにその奥にある寝室に入り、重い防護服から着替えながらこれから一週間何をして過ごすかを考える。 病的なまでの自動化のおかげで、巡航に入ると僕たちはする事が無くなる。端的に言えば退屈だ。 もし外を見渡そうとしても、光の速度を超えているのでそこにあるのは只の漆黒だ。 ただ自分たちの健康に気を使い、なるべく怪我の無い様に生活するだけの日々。 その退屈を紛らわせる為、コンピュータ内に本や映画、音楽等のデータが大量に詰め込まれているくらいだ。 ……その中に18歳未満お断りな物も含まれている事には驚いたが。 その時、ドアが開く音がした。顔を下に向けたまま私服姿の彼女が僕に向かって飛んでくる。 彼女は無重力下での行動には不向きなスカートを履いていて、そして…… 「ふふっ」 彼女は笑っていた。最初は含み笑いだった声が徐々に大きくなりそして、 「あはっ、あははっ! あははははははは!!」 遂には哄笑へと変わった。気が狂ったかのような笑いを続けながら僕の方に突っ込んでくる。 戸惑いに固まる僕に彼女はかまわず抱きついてきて、そして……口付けた。 いきなり舌をねじ込むディープキス。情熱的に絡んでくる彼女の舌。腰に手を回されているから離れる事も出来ない。 慣性の法則に従って運動し続けた身体が壁に接触したところでようやく彼女は唇を離した。 僕らの口から零れた唾液の橋は、すぐに丸くなって換気口の方へと吸い込まれていった。 興奮と混乱で頭が真っ白な僕は彼女の、かつて見た事のない妖艶な笑みを見つめる事しか出来なかった。 208 :最果てへ向かって(5/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 04 01 ID LEyxcZKH 「あははははっ! これでやっと夢が叶ったんだ!! ここまで長かったね。うん、本当に長かった。」 途方もない違和感が僕を襲う。目の前の彼女がまるで別人のように感じられた。 「ねぇ。君とわたしの夢って、実はちょっと違うんだ。知ってた? 」 何の事だ? 現にさっき夢が叶ったって言ってたじゃないか。 「わたしの夢はね……君と二人っきりで過ごすこと。ううん、そうじゃないね。君をわたしのものにすること。」 その言葉に頭が回転を再開する。確かにここは二人きりだ。邪魔が入る余地などありはしない。 でもまさか、募集の後押しをしたり、訓練中励ましてくれたのは、全部その為だとでもいうのか……!? 「そうだよ。最初は君を何処かに監禁してしまおうと思ったんだけど、その維持を考えると現実的じゃないなって思って。 ここなら絶対に変な害虫も付かないし、何より政府公認だもんね。ぜーんぶそのためにがんばったんだよ? あのクソ教官の拷問みたいな訓練にも、セクハラ上司の厭味にも負けずにね。褒めてほしいくらいだよ」 彼女が絶対しないような言葉遣いが、快活な性格の裏に隠された黒い感情が、僕の衝撃を大きくする。 「ねぇ、何で第一次隊が全滅したのか教えてあげようか? 」 何故彼女はその理由を知っている? そう思いつつも好奇心には勝てずに首肯を返す。 「技術的には何の問題も無かったの。彼らはね、簡単に言えば孤独に押しつぶされちゃったんだ。 どんなに厳しい訓練を重ねた屈強な精神でも、報われないかもしれない任務に絶望してしまったのね」 そうだったのか……。納得すると同時に、自分もそうなってしまうのでは、という恐怖がこみ上げてくる。 「でもね、わたしたちは大丈夫。絶対に絶望なんてしない。だってここに居るのは君とわたしの二人なんだもの」 何故そう言い切れるんだ? 第一次隊だって二人ペアでの行動だったはずだ。 「偉い学者さんたちが考え付いたの。強い依存関係にある男女なら、これを乗り越えられるってね。 特に女の側が奉仕的で、独占欲強くて、周囲を傷つけることにためらわない性格が最適なんだってさ。 ストーカー騒ぎのこと覚えてる? あれはね、わたしたちに適性があるかを判断する試験官だったの。 わたし、その人達にお墨付きもらっちゃった。だからわたしたちはここにくることが出来たの。他の探査船の人達もそう。 皮肉だよね。地上では病的だって言われるような人間のほうが宇宙での生活に適してるなんて。」 209 :最果てへ向かって(6/6) [sage] :2007/09/30(日) 22 04 54 ID LEyxcZKH 一気にしゃべりきった彼女はもう一度僕に口付けてくる。それは甘美で、捕らえたものを決して逃さない魔法。 腰に回していた手がズボン越しにさっきから興奮しっぱなしのソレに触れる。 情熱的に絡み合う舌が、布越しのもどかしい刺激が、僕の精神を侵していく。 永遠のようなキスが終わると、彼女は微笑みながらポケットから何かを取り出した。それは白い錠剤の詰まった小瓶だった。 「ねえ、コレ何だかわかる? コレはね、最先端の不妊薬なの。後遺障害も副作用もなしのパーフェクトなおクスリ。 でも政府のお偉いさんがこんな物は倫理に反するって大反対して結局一般に発表されなかったんだ。勿体無い話だよねぇ」 それはそうだ。そんな薬があったらみんなナマでヤり放題だ。宗教色を強めるあの国がそれを認めるとは思えない。 「でもその分こういう任務には最適なの。だから船内に特製の合成プラントまで作ってあるの。 きみの子供を産めないのは残念だけどここで子育てするのは大変だからね。人が住める星が見つかるまで我慢しなきゃ。 でも、その分妊娠なんて心配しないで思いっきりナカに出しちゃっていいんだよ。 わたしも君のアソコからせーえきがびゅくっ、びゅくっ、って出てくるのを感じたいの」 彼女の口から出てくるとは思いもしなかった卑猥な言葉。その一つ一つが、僕を昂ぶらせていく。 「だからね…………しよ?」 その一言で、僕の理性はいとも簡単に崩れ去った。今度は僕の方から口付ける。 彼女は一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに蕩けた笑顔でキスに夢中になった。 そして僕たちの顔の間に三回目の橋が渡って切れた時に、彼女は飛び切りの笑顔で僕に囁く。 「これからは、ずっと一緒だね」 ――そしてこの日から、僕たちの、僕たちだけの世界が、始まったんだ。
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833 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02 22 27 ID 4x1S0/Ns [2/7] 「ねえ、前から聞きたかったんだけど」 何度目かも忘れた生徒会室での勉強会で。 今帰さんが突然そんなことを言い出した。 聞きたかったのならその場で聞けばいいのに。 とはとても言えない。 空気を読めないのはぼっちの特権だからだ。 リア充たる彼女がそれを行うのは大層難しかろう。 「阿賀くんは私のこと、好きじゃないの?」 えっ。 好きじゃないの? っていうか、三行以上おしゃべりした女子は大体好きですよ? ぼっちだもの。 何しろ下手したら男子すらうっかり好きになりそうになるくらいだ。 「えっ、いや、な、なに!?」 しかしリア充というのは本当にぶち込んでくるね。 ぼっちがこんな話題切り出そうと思ったら十年はかかるのに。いや十年かかったって無理だ。0には何をかけてもゼロだからね。 今帰さんはねめつけるようにこっちを見てくる。 「そうやって言葉を濁すの、よくないと思う」 「い、いや、濁したっていうかですね、ちょっとしたバクというか」 「バクって何?」 「僕というシステムは好きという言葉を入力されることを想定されて構築されていないんだ。そういう仕様なんだよ」 なんと説明したものか。ああ、自分と価値観を異にする相手に自分の理屈を通すのって難しいな。 あまりに唐突な質問に、僕は答えに窮す。 だけども、リア充にとってはちっとも急じゃないのかもしれない。 僕はぼっちだから、人との距離の取り方ってよく分からないんだけど、リア充だったらこれくらいの頻度で一緒に勉強会をしたり一緒に下校したりするくらいの仲だったらお互い好きとか言い合ったりするものなのかもしれない。 いずれにせよ、僕には関係ないことだし、永遠に知りえないことだ。 僕の煩悶をよそに畳み掛けるように今帰さんは言葉を重ねる。 柔らかな微笑みとともに、綺麗な声で。 それはあまりにも完璧だった。それを向ける相手が僕じゃなければ、だけれど。 「私は好きだよ」 心理学には、『返報性』という概念がある。 これは大雑把に言ってしまえば、好意を示されたらこちらも好意を返すという、人間の本能、あるいは反射のことだ。 リア充というのはこれを自然にこなす。 だからみんなリア充が大好きだ。 僕は違う。僕は誰からも何も示されない。だから僕は誰にも何も示さない。 みんな僕のことを好きじゃなくて、だから俺もみんなのことを好きじゃない。 今帰さんに好きだよと言われた瞬間、あまりにも急激な血圧の上昇から意識が飛びそうになったけど、だけどそれでも僕は誰のことも好きではないんだ。 だから僕は無言だ。アホみたいに口あけてポカーンとするだけ。絶句とも呆然とも言う。 「好きって言われない人間なんていないよ」 今帰さんは言葉を続ける。 「じゃあ僕は人間じゃない」 彼女は呆れたようにため息をつく。まるで出来の悪い生徒を前にした教師のように。 「阿賀君は人間だよ」 いや知ってるよ。 僕は無言になってしまう。 彼女は出来の悪い生徒を何とか諭そうと、何かを思案している。 出来の悪い生徒であるところの僕も何か考えたほうがいいのかな。じゃあ何を考えればいいんだろう。 834 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02 22 53 ID 4x1S0/Ns [3/7] 「阿賀君!」 「は、はい!」 彼女は僕のほうに向き直り、僕をまっすぐ見る。 なるほど、率直に正攻法で攻めることにしたのか。 「私は阿賀君のことが好き。じゃあ、阿賀君は?」 理解できない単語が耳に飛び込んでくる。 今帰さんの目はどこまでもまっすぐで、澄んでいて、暗がりで生きている僕にはあまりにも眩しすぎる。 ああ、駄目だ。これは駄目だ。 ええっと、こういうときはなんて言えばいいんだっけ、どんな顔をすればいいんだっけ。 僕の人生で、今までこんな経験をしたことは一度も無い。だから対応が分からない。 いや、僕は知っている。実際にこんな経験をするのは始めてだけど、こういうシーンを乗り越えた例は読んだことがある。2chで。 さあ、知っているならその知識を生かすべきだ! 「……ぇ」 「なに?」 今帰さんはおもちゃを見せられたときの子供のような表情で、僕の顔を覗き込んでくる。多分、この感情は、期待だ。 今帰さんは望まぬ返答が帰ってくることなんて欠片も想定していない。 当然だ。今までの人生、全部うまくいってきたんだろう。人から嫌われたことなんて一度もないんだろう。ましてや、いるのかいないのかわからないかのように扱われたことなんて。 その期待に対し、僕は全力ですっとぼけた表情を作ってこう言った。 「え、なんだって?」 腹を蹴られた。 え? え!? なんだこれ。お腹めちゃめちゃ痛い。今帰さんめちゃくちゃ怖い。 「私言ったよね。言葉を濁すのってよくないって。ついさっき言ったばかりだよね。まさか忘れたなんてこと、無いよね」 氷のような冷たさを篭められた言葉が降ってくる。蹲っている僕からは見えないが、きっと今の今帰さんはゴミを見るような目で僕を見ている。 どうなっているんだ。とあるラノベ主人公は「え、なんだって?」の一言でハーレムまで築き上げたというではないか! それなのに! この言葉は魔法の言葉ではなかったのか。これは主人公かイケメンにのみ許された魔法だったのか。僕が真似してうまくいくと思うほうが間違いだった! それにしても、こんなに怒った今帰さんを見るのは初めてだ。 結構強引だと思ってはいたけど、まさか暴力を振るわれるなんて夢にも思わなかった! 見上げると、今帰さんは微笑んでいた。 いつもの微笑が心底恐ろしく見える。 というか何故笑っているんだ。これが本性なのか。僕の天使は一体どこに? とてもじゃないが直視できない。腹が痛すぎるということにして再び俯こう。 「一応言っておくけど、友達としての好きじゃないからね。異性としての好きだから」 予防線を潰された。 そもそも異性として好きな相手に腹蹴りをするだろうか。 そもそも、今の態度はどう考えても目の前に蹲る好きな異性に対して取る態度ではない。ぼっちの僕でもそれくらいは分かる。 いや悪いのは僕だ。さすがの僕でも僕が悪いと自分で思っているよ。 でもそれはそれとしてこれはおかしくないだろうか。 835 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02 23 12 ID 4x1S0/Ns [4/7] どうしよう。どうする。 今帰さんに暴力を振るわれたという衝撃と対応策がまったく思い浮かばないという焦りで思考が目まぐるしく回る。いや、これは回っているのではなく迷走しているというほうが正しい。 完全に空転している。 何か、何か言わないといけない。 言わなければ、この腹蹴り以上の暴力が振ってくるという漠然とした確信がある。 うめき声を上げて蹲る(振りをして時間を稼ぐ)僕に、今帰さんは手を伸ばす。 僕の顎下をつかんで、無理やり顔を上に向かせる。 腹部の痛みとあいまって、呼吸が苦しくなる。 「痛かった? ごめんね? 立てる?」 その細い指から、じわじわと冷気が染み込んでいくる。 今帰さんの顔を見ることが出来ない。見るのが怖い。 とにかくこれで、ずっと蹲ってお茶を濁す作戦は潰された。 立ち上がるしかない。そして答えるしかない。 僕は椅子に寄りかかるようにして何とか立ち上がる。 本当はそこまで重症じゃない。痛みはすでに和らぎつつある。 ただ少しでも時間を稼ぎたかった。そして彼女の動揺を誘いたかった。 向き合う彼女から、答えを催促するような圧力を感じる。 相変わらず、顔を見ることは出来ない。 「……ほ」 そして、ほとんど呼吸音のような声が、どうしようかと困惑している僕の口から漏れた。 「ほ?」 「保留ってありっすかね?」 彼女の鋭い腹蹴りを僕は後方に飛んで回避した。 「ほあぁぁぁ!!」 ホ、ホ、ホァァー! あっぶねえ! 予想通りだよ! じゃあ予想できたのになんで保留なんて言ったんだって聞かれれば、そこはもうごめんなさいとしか言いようが無い! 僕という人間の性なんだ! 「どうして!? 酷いよ!!」 怒るか攻めるかどっちかにして欲しい。 そしたら僕ももうちょっと対応を絞れるから。 「ちょ、ちょっと落ち着こう。パンツ見えるしさ」 「パンツくらいいくらでも見ていいから!」 「ストォォォォッップ!! それ以上はいけない!!」 どうして僕は自分に敵意を向ける相手のパンツの心配をしなきゃならないんだ! これが今帰さんじゃなかったらぶん殴ってるぞ! もちろんそんな度胸無いけど! 「まって、落ち着こう。いったん落ち着こう。こんな状況で話してもまともな答えは出ないよ」 「好きから嫌いの二択じゃん!」 「二択も間違えるくらい動揺してるってことだよ!」 そもそも彼女の発言は根本的に間違っている。答えは通常であれば二択ではない。保留とかはぐらかしとか、言葉には無限の可能性があるんだ。言葉って素晴らしい! しかし今はイエスかノーか以外の回答は許されないだろう。さすがに僕でもそれくらいは学んだ。 暴力と罵倒による強制二者択一。これが噂に聞く対話と圧力という奴か。実際は圧力と圧力だが、いや、選択肢が複数あるだけマシか。 少し、考えてみる。 もちろん、長い猶予が許される状況じゃない。 真剣に考えようと、真剣に考える振りで時間を稼ごうと、どの道あっという間に時間切れで強制的な選択を迫られるだろう。暴力によって。 アメリカ政府だってもうちょっとのん気だろうに。今帰さんという人は。 836 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02 23 34 ID 4x1S0/Ns [5/7] 逃げる、という選択肢がないわけではない。だけどそれはあくまで最終手段だ。今帰さんは僕より足が速いし持久力もある、はず。知らないけど多分そうだろう。彼女は運動も出来るイメージがある。実際、さっきの三日月蹴りは実に見事だった。 いや三日月蹴りとかよく知らないけどね。 さて、逃げた場合、僕を追いかけてくるかどうかは五分というところだろう。 悪くない賭けだ。だけど、これはいつでも実行できる。つまり他に選択肢がなくなってから実行しても遅くはない。というわけで保留。 さて、では問題の二択についてきわめて早く、具体的には僕が僕の身を案じた時間の半分くらいで早急に考えて結論を出そうか。 パターン #9312;.好きと答える。 そもそもこの好意が嘘の可能性もある。 僕がただからかわれているだけの可能性。 それならそれでいい。いやまったく何一つよくないが、悩む必要は無くなる。 問題はこの好意が本心だった場合。 好きだと答えれば、当然その先がある。 付き合ったりデートしたり。 ……無理だ。 こんなわけの分からない人間とどうやって付き合っていけというんだ。 そりゃ経験豊富なリア充さん達ならこの高難易度のミッションもクリアできるかもしれない。 しかしこの僕に、ましてやこんなわけの分からない相手と付き合うことなんて不可能だ。どうやったって順調に穏便に進むシナリオが浮かばない。想像力の限界を超えている。 もうやめて今帰さん! 僕のライフは最初からゼロよ! つまり、これは駄目だ。 よし、じゃあ次だ。 パターン #9313;、嫌いと答える。 先ほどの行動から見て、ほぼ間違いなく暴力が見舞われるだろう。 たとえば、先ほどのように昏倒させられたらどうなる? そこから今帰さんがマウントを取り、振り下ろすような拳の連打を僕の顔面に叩き込んできたら? さすが今帰さん! マウントポジションからの顔面パンチとか今帰さん本格的過ぎるよ! 天使というか野獣だよ! うん。これもよくない。大変よくない。いくら今帰さんでもマウントは取らないだろうとか、そういった破綻はすごいけどとにかくよくない。 ……うん! よし、結論。逃げよう。 その前に、僕の両肩に置かれた手をどうするか。 ……え、手? この手は今帰さんの手だ。今帰さんの両手が、僕の肩をがっしりと掴んでいる。いつの間に僕の肩に手が置かれたんだ? え、どうすんの。どうすんの僕。詰んでね? これ詰んでね? 「ねえ、どっち?」 迂闊にも、今帰さんの姿を正面からまじまじと捕らえてしまった。 フランス人形のような、大粒のキラキラとした目がこちらを真正面から捕らえている。 その目には、決して抗えないだけの魔力があった。 「いや、その、好きだよ」 ……。 しまった! 咄嗟のこととはいえ僕は何を言ってるんだ! ああ僕はどうしてこう素直なんだ! いいやもう。やってしまったものはしょうがない。腹をくくろう。僕を笑いものにするリア充達が茶化しながら入室してくるより前に逃げよう。そうすれば致命傷は免れる。 837 名前:今帰さんと返報性 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 02 23 58 ID 4x1S0/Ns [6/7] 僕は浅く呼吸し、左足を半歩下げる。これで地面を蹴り、今帰さんの脇を駆け抜けるだけの余裕が生まれた。 後の問題は今帰さんの腕を振り払えるかどうかだけ。彼女の腕を払うのが先か、僕の肩が今帰さんによってむしりとられるのが先か。くっ、もってくれ僕の肩よ!! が、僕は動き出せなかった。 理由は簡単。今帰さんの様子がおかしいことが気になるだとか、動揺のあまり僕の体が動かないとか、そういうことじゃない。 今帰さんが半歩前に出て、僕が足を出す場所が失われたからだ。 こ、この糞野郎……じゃなかった。この優等生! 僕は無言で彼女の出方を伺う。というかそれしか出来ない。 今帰さんは笑顔のままだった。 「よかったぁー」 彼女はそういって、笑顔のままぼろぼろと泣き始めた。 「うわっ! どうしたの」 「私ずっと不安だったの! 阿賀君に迷惑かけてるんじゃないかって、阿賀君に嫌われてるんじゃないかって! よかったぁー、よかったよぉぉぉぉー」 彼女はそう言って子供のようにわんわん泣き出す。 ばれてた。 なるほど、その心配は事実だ。だけど。 「この世に、今帰さんを嫌いになる人間なんていないよ」 それは、紛れも無い僕の本心だった。 今帰さんを嫌いになる人間なんて想像もつかない。 それくらい、僕には今帰さんは完璧で、天使のように人間離れした存在に思えた。 「じゃあ、私の彼氏になって?」 そうだ。彼女は僕を好きだといった。そして僕も彼女に好きだと言った(言わされた)。 だが僕は決して付き合うとは言っていない。記憶にございません。 上目遣いでこちらを見る彼女に、 「保留! とりあえず保留で!」 そういい捨てて脱兎の如く僕は逃げ出した。 ―――――――――――――――――――――――― なんだかおかしなことになってしまった。 すっかり彼女のペースに振り回されっぱなしだ。 人から見たら、僕は相変わらず無表情に見えるだろう。 本当は心底動揺している。 心の表層ではなんともない振りをなんとか取り繕っているだけだ。 どうせ深い意味はない。 いつもどおりやり過ごせばいい。 大丈夫。大丈夫。 そう自分に言い聞かせ、偽りの安寧を心に浮かべる。 こうして心の表面を落ち着けていれば、いつか心の奥も落ち着くだろう。 どうせ、こんな異常事態はすぐに終わる。 穏やかにたゆたう深い夜の闇が、僕の心を沈めてくれる。 今帰さん。 眠りに落ちる前、僕は彼女の笑顔をかすかに幻視したような気がした。 ―――――――――――――――――――――――― 調子に乗った。やりすぎた。失敗した。 今日ほど、そんな言葉を思った日はない。 調子に乗って告白して、怒りに任せて阿賀君のお腹を蹴って、彼を無理やり捕まえて。 彼を前にすると、私はまるで感情を抑えることが出来なくなる。 自分でも、どうしてだか分からない。 原因の分からない感情が心の中に後から後から湧き上がって来て、何も考えられなくなってしまう。 私は、彼にたくさんの迷惑をかけた。 それでも、彼は最後には好きだといってくれた。 私のことを愛していると言ってくれた。 嬉しかった。 彼は引っ込み思案だからきっかけがないと行動できないんだって前に言っていた。 阿賀君は私のことが好きで好きで、常に今すぐにでも好きだといって押し倒したかったに違いない。 素直に押し倒してくれてもいいのにと思うけど、そういう奥ゆかしいところも彼のいいところだ。 ――罪深い私と、無垢な彼。 決して私が彼に強要したわけじゃない。 本当は私のことをなんとも思っていない、それどころか私のことを嫌っているなんて、そんな可能性あるわけない。 大丈夫、彼なら、私を好きになってくれる。 罪深い私を。醜い私を。 電気を消し、ベッドに入って瞑目する。 阿賀君。 その呟きは部屋の闇に飲まれ、消える。何も返ってはこない。 阿賀君。 暗闇に手を伸ばす。その手は誰に触れることもない。 阿賀君。 奥行きも分からない深い夜の闇は、私の祈りに答えてはくれなかった。
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297 :カーニバルの夜に ◆msUmpMmFSs [sage] :2006/07/19(水) 00 24 47 ID 1/djX81y 彼らがどこに行ったのか、マッド・ハンターは実を言えばほとんど迷わなかった。 行き先は限られている。血塗れの二人旅で、遠くまで行けるはずはない。 直接見てはいないものの、ヤマネは殺戮のかぎりを尽くしたはずであり、五月生まれの三月ウサギはその手を引いて逃避行をしたはずだ。 長い付き合いから彼らの人格を知り尽くしているマッド・ハンターは、そのことを理解していた。 ヤマネが三月ウサギの家族を殺し、独占しようとすることも。 三月ウサギが、そのことを責めようともせずに、その存在を許容するであろうことも。 となると、二人は今にも手に手をとって逃避行を始めるはずであり――彼女の予想が正しければ、ヤマネは、今夜にも死ぬ。 というわけで、喫茶店『グリム』を抜け出し、マッド・ハンターは夜の街へと繰り出した。 明確な目的を持って出かけるのは久しぶりだった。 入れ替わりの激しい狂気倶楽部の中で、長く生き、居続けるのには理由があった。 けっして深く関わらず、傍観の立場にいること。 関わるときは、物語が終わり――エンドマークが打たれるときだけだ、とマッド・ハンターは心に決めている。 そして、今夜。ヤマネという少女の、物語が終える。 町の外れにある、出来かけたままの鉄筋ビルにマッド・ハンターは足を踏み入れる。 鉄骨と、所々が未完成のコンクリート製の足場。町の中心部から外れたせいで、開発が途中で止まった高層ビルの成れの果て。 世界に置いていかれて、ゆっくりと朽ちていく場所。 こういう場所は町のあちこちにあり、『グリム』に通うようなゴスロリ少女たちからは、『聖域』と呼ばれている。 その退廃的な雰囲気が、彼女たちを魅了するのだろう。 そんな感慨はマッド・ハンターにはなかったし、恐らくは三月ウサギにもないだろうと思っていた。 それでもここに来たのは、三月ウサギの家から人目に通らない裏路地を取って行ける、人気の存在しない場所がここだったからだ。 居るとしたら、ここに居る。 いなければ、夜の間に、街を出て行ってしまっている。 半分は賭けだった。 マッド・ハンターは、賭けに勝った。 298 :カーニバルの夜に ◆msUmpMmFSs [sage] :2006/07/19(水) 00 42 23 ID 1/djX81y そこにあるのは、惨劇の後ではなかった。 幹也の家のような血塗れではない。 吐瀉物に汚れる、小さな死体があるだけだった。 首を絞められ、酸欠するよりも先に骨を折られたのか、首がくの字に曲がっている。 口の端からは胃の内容物と血が交じり合ったものが垂れ流れている。 どう見ても死んでいて――その死に顔は、この世の誰よりも、幸せそうだった。 ヤマネの、死体だった。 マッド・ハンターは、廃ビルの中をもう一度見回す。 ヤマネの死体がある。 そして――三月ウサギは、どこにもいない。 「……そうか、そうか、そうなのだね。もう、行ってしまったのね」 ヤマネは醒めない眠りにつき。 ウサギは逃げ出して。 全ては、完膚なきまでに、終わっていた。 マッド・ハンターは薄い笑みを浮かべ、杖に体重をかけつつ、ポケットの中から携帯電話を取り出す。 何のアクセサリーもついていない、機能重視の薄い携帯電話。 ボタンを押さず、ダイヤルを回し、登録してある番号にかける。 相手は、直ぐに出た。 『はいはぁい、』 『はいはいはい、お仕事ですよ『壱口のグレーテル』ちゃん。西区の聖域、廃ビル、」 相手の言葉を遮ってマッド・ハンターは言い、グレーテルと呼ばれた相手もまた、言葉を遮って電話を切った。 ツー、ツー、という音だけが虚しく響く携帯を耳に当てながら、マッド・ハンターは無言で肩をすくめる。 この調子だと、三十分もかからずに相手はすっとんでくるだろう。 壱口のグレーテルと、人朽ちのヘンゼル。狂気倶楽部の、お仲間が。 ――その前に、やらなければならないことがある。 マッド・ハンターは携帯をしまい、しまったそこから魔法のように鋏を取り出す。 鋏を手に、ヤマネの死体へと近寄りながら――右手でしゃきん、と一度鳴らす。 それ以外に、音はない。 死に果ててしまった場所で、生きているのは、マッド・ハンターだけだった。 300 :カーニバルの夜に ◆msUmpMmFSs [sage] :2006/07/19(水) 01 07 53 ID 1/djX81y ――予想に反して、グレーテルは十五分二十五秒でやってきた。 「はぁい。元気ぃ? あたしとしては、元気じゃない方が嬉しいんだけどぉ」 ふらふらと揺れながら、グレーテルは廃ビルへと現れた。 足元がおぼつかなく揺れている。 ここまで走ってきたせいなのか、常日ごろからそうなのか、見ただけでは判別がつかない。 ぱっと見は酔っ払っているように見えるが、しかし、年齢で言うのならばマッド・ハンターより年下なのだ。 もっとも、二人とも未成年であることには変わりないけれど。 「やぁ、やぁ、やあ! 私は元気でしたよ。ヘンゼルくんは変わらず不元気かい?」 「不元気ぃ?」グレーテルはわざとらしく唇に人差し指をあてて、「不健康、不健全、不満足、ねぇ」 笑って、グレーテルは髪が短くなったヤマネの死体に近寄っていく。 その手には、普通に生活している分には絶対に見ることのない、ボディバッグと呼ばれる緑色の大きな袋を持っていた。 袋というよりは、完全密封式の寝袋に近いかもしれない。 死体を詰めるという、その目的のために存在する、通称『死体袋』である。 その袋をずりずりと引きずりつつ、 「何ぃ? まーた髪が短いじゃない。なんであんたから連絡がくるときって、いっつもこうなのよ?」 「きっと、きっと、きっとだね、短髪者を愛好する殺人鬼がいるんでしょうね」 さらりと嘯くマッド・ハンターを、まったく信じていない目つきでグレーテルは見る。 その瞳は、ヤマネが零した血のように赤く、禍々しい印象を人に与えかねない。 そのくせ髪は新雪の雪のように白く、前は鎖骨、後ろは肩甲骨のあたりで切りそろえられていて、 見るものに清楚な印象を与えるという、二律反したイメージがそこにあった。 レトロなキュドパリ・ジャンパースカートは黒で、モノクロの世界から抜け出してきたような雰囲気がある。 ジャンパースカートの下には何も着ていないせいで、肩口から腕にかけては完全にむき出しになっていた。 その細い腕で死体袋のチャックを降ろしつつ、グレーテルは妙に間延びした口調で、 「まぁ、あたしとしてはぁ、新鮮なのが手に入れば文句は言わないけどねぇ」 マッド・ハンターはその様子を斜に構えて見つつ、「新鮮な方がいいの」と訪ねた。 首だけで振り返り、笑ってグレーテルは答える。 「兄さまはぁ、それが好きなのよぉ?」 もう一度笑って、グレーテルはヤマネだったモノを袋の中に詰める。吐瀉物の掃除は彼女の仕事ではない。 すべては分担されている。 自分の役目をこなすだけだ。自分の役割をこなすだけだ。 誰もが、自分という役を演じているだけだ。 つらつらとマッド・ハンターがそんなことを思っている間に、グレーテルは作業を終えた。 そして、来た時と同じくらい唐突に、挨拶もなく踵を返した。 マッド・ハンターはため息をもって別れの挨拶とし、こつん、と杖で一度床を叩く。 そこにはもう、本当に、何もない。 ヤマネも、三月ウサギも、そこにはいない。 もう一度だけ――あるいは最後に――マッド・ハンターは、器用にも、笑いながらため息を吐いた。 そうして、一つの物語は終わりを告げて。 新しい物語は、ゆっくりと始まっていた。 <二話に続く>
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814 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 10 45.86 ID Nn8VuQXE [2/9] シルバーが去ってしばらくした後、僕は大事なことに気づいた。 僕はどこで連絡を待てばいいんだ? 今いる丁子町は旅の順路から大きく外れている。 ポポの治療が終わるまではそれを言い訳に滞在できるけど、それもどれくらいかかるか分からない。 一日二日で治らない時点でよっぽど重症だったことはうかがえるが、ポケモンセンターの医療技術は異常と言ってもいいくらいだ、油断は出来ない。 治療が終わったなら順路に戻らなくてはならないわけだけど、例えば槐市や浅葱市にいたならともかく、海の向こうの丹波町にいた場合、連絡が入ってすぐに動くというのも難しくなる。 奴は僕の連絡先を知ってるけど、僕は奴の連絡先を知らない。 はあ…… 先ほど気づかなかったことに溜息が出てくる。 ……後悔しても後の祭りか。 とりあえず、ポケモンセンターに戻ろう。 「その前に、何があったのか、教えてよ」 「ポケモンセンターに戻ってから言うよ」 ベッドに腰掛け、香草さんとはぐれてから道中あったことを説明する。 「ゴールド、大丈夫なの!?」 通行所でのシルバーとの戦いのくだりで、香草さんは興奮した様子で聞いてきた。 「大丈夫だから今こうしてるんだよ」 「よかったぁ……そうよね、私ったら馬鹿みたい。ゴールドが危険な目に会ったって聞いたら頭が真っ白になっちゃって。あ、これはその……」 恥ずかしげにそう答える香草さんは、とても可愛かった。 そうして、香草さんは不安げな様子で僕の話を聞いていたが、最後まで話し終えると、はぁ、と息を吐いた。 そのまま、柔らかに僕に抱きつき、言う。 「ゴールド、その、い、生きててくれて、ありがと」 甘い香りがふわりと広がり、僕は照れくさい気持ちになった。 ガラ、とドアがスライドする音がする。 見ると、やどりさんがこちらに背を向けて、部屋から出て行くところだった。 「やどりさん、どうしたの?」 「……少し、席をっ……外す……」 彼女はか細い声でそう答えると、すたすたと去っていった。 僕はそんな彼女の様子を何も疑問に思わず、無言で見送った。 「後は香草さんも知ってのとおりだよ」 「うん、分かったわ。それでシルバーに対してあんな態度だったのね」 「……うん」 「……でもゴールド、シルバーの言うことをそのまま信用するのは……」 「分かってるって。でも、シルバーと関わればどの道ロケット団に関われるってのは間違いない。シルバーの言っていることが正しいのなら協力してロケット団を潰せばいいし、もし違うのなら、シルバーを倒してランを助けるだけだよ」 「……ゴールド、私、ゴールドが危険な目に会うのは、イヤよ……」 「大丈夫だって。……それに、もしもの時は、か、香草さんが守ってくれるんでしょ?」 恥ずかしくて二人とも顔が真っ赤になる。 「ねえ、ゴールド」 「何?」 彼女は太ももの上で落ち着かなさ気に両手を弄っている。 「そろそろ、香草さん、じゃなくて、な、名前で呼んで欲しいな」 「な、名前?」 確かに、いつもでも苗字にさん付けとは他人行儀かもしれない。 僕は誰にでも苗字にさん付けするのが基本だったから気にならなかった。 「べ、別に香草さん、って呼ばれるのが嫌って訳じゃないのよ? でも、折角だし……」 確かに、こ、恋人になったというのに、いつまでも名字にさん付けじゃ少し他人行儀かもしれない。 「そ、そうだね。じゃ、じゃあチコ……さん」 「……はぁ。さん付けはいらないのに」 「ご、ごめん」 「いいわよ。一歩前進したしね」 認めてもらえてよかった。 どうもまだ香草さんを呼び捨てにする気にはなれない。 これは今まで体に刻まれた恐怖のせい……いやいや、ただの照れと遠慮さ。きっとそうさ。 会話が途切れ、少し無言の時間が流れる。 窓の外を眺めていると、後頭部に強い視線が突き刺さりまくるのを感じる。 ここまで強い視線を感じると、多少振り返るのが怖くもある。 しかし視線責めに負け、振り返ると、香草さんは頬を染めて僕をじっと見ていた。 815 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 11 45.12 ID Nn8VuQXE [3/9] 「どうかしたの?」 「ううん……幸せだなぁって思って」 こんな素直に感情を表されると、こっちが恥ずかしくなってしまう。 「そんな、大げさだよ」 「私、ゴールドと一緒にいれるってだけで胸がどきどきして……全身が熱くなって……でもとっても幸せな気分でね……ゴールドもそう思ってくれていたらいいなぁって思うの」 「も、もちろんだよ」 「ねえゴールド……」 「な、何?」 「キ、キス、して」 香草さんはそう言って目を閉じ、真っ赤になった自分の顔を突き出してきた。 自分の顔も赤くなるのが分かる。 僕はおずおずと距離を詰め、口付けを行った。 自分の唇に、独特の弾力のあるものが当たってるのが分かる。 そのまま離れようとした僕に香草さんが抱きつき、そのままついばむようなキスを数度重ねる。 慌てて薄目を開けると、ちょうど香草さんも離れた。 瞳は潤み、顔は赤く、唇は煌いている。 ものほしそうに唇に指を当て、はあ、と熱っぽい溜息を吐いて、口の周りを舐め取った。 様子、振る舞い、どれをとっても魔力と言ってもいいような色気に溢れていた。 僕は思わず唾を飲み下す。 僕は耐え切れず、香草さんを抱きしめ、唇を貪った。 数秒後、香草さんの動きが無いのに気づいて、正気に返った僕は慌てて離れた。 「ご、ごめん!」 香草さんは呆けたような顔で僕を見ていた。 「全然いやじゃなかったよ」 そのまま柔らかな笑みを作り、言う。 僕は頭がくらくらしてきた。気が遠くなりそうだ。 まったく自分が制御できていない。今にも香草さんに襲い掛かってしまいそうだ。 普段の僕なら手を繋ぐことも照れくさく思うのに。 いったい僕はどうしてしまったんだろう。 「ゴールド……」 彼女は両手で包むように僕の手を取り、それを自分の胸に導く。 僕はなされるがままだ。 「ほら、私の胸、こんなにどきどきしてる……ゴールドのこと好き好きって言ってるよ」 確かに、香草さんの胸からはドクドクという心臓の拍動が伝わってくる。 客観的に見ればただ繰り返す単調なリズムなのに、どうしてこんなにも愛おしく思えるんだろう。 お返しに、僕も香草さんの手を取り、自分の胸に当てる。 「僕も、こんなにドキドキしてる」 「本当ね」 彼女はそういうと、そのまま顔を僕の胸にうずめた。 僕はそれを包むように抱きしめる。 そうして、しばらく彼女の体温を感じていた。 突然、ガチャリという音がして、僕達は飛び上がった。 振り返ってみると、口の開いたリュックの中身がベッドから落ちただけだった。 ただそれだけのことなのに驚いたお互いが可笑しくて、どちらともなく笑いあった。 この度が始まってから、一番穏やかな時間が流れていた。 それから数日は毎日、朝から晩までこんな様子で過ごした。 部屋でイチャイチャしたり、町でデートしたり、とにかくベタベタしていた。 やどりさんは気を使ってくれているのだろう、毎日朝早く一人でどこかへ行き、夜遅くに帰ってきた。 一週間もした頃だろうか、香草さんのデートの最中、突然ポケギアが鳴った。 表示されるのは見覚えの無い番号。 少し身構え、それに出る。 「……もしもし」 「俺だ。奴らの狙いが分かった。奴ら、古賀根街のラジオ塔を占拠するつもりだ。 「ラジオ塔だって? 何のために?」 「知るか。とにかく、そういうことだ」 「待て、詳しい打ち合わせがしたい。古賀根街で一度会えないか?」 「……難しいな」 「それを何とかするのがお前の役目だろ。まさか、無策で突っ込む気かよ」 「いけないか?」 頭を抱えたくなった。 816 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 12 23.57 ID Nn8VuQXE [4/9] 「いけないに決まってるだろ。まったく、お前は昔っから……とにかく、敵戦力とラジオ塔の見取り図、あとロケット団の細かい計画を調べてくれ」 「相変わらずお前は口ばっかだな」 「ブレインと言ってくれ」 「ギャハハハハハハ! ブレインはねーよ!」 そう言ってシルバーは大笑いしている。 電話を聞いてきた香草さんの眉がピクリと動くのが見えた。 ひとしきり笑った後、シルバーは苦しそうに話し出す。 「……あー、息が苦しくなるほど笑ったのは久々だ。やっぱお前面白れーわ」 「そりゃどうも」 「分かった、三日以内に古賀根街に来い。後は追って連絡する。それと、何か電話口で声を変える方法考えておいてくれ」 「声?」 「ランにお前の声を聞かれちゃまずいからな。声が違えば協力者ってことで誤魔化せるかもしれない。あ、だからって絶対に女は出すなよ? アイツ頭おかしいからな。もし俺が女と話そうものならもう手がつけられん」 なぜか電話越しのシルバーの声が急に老いたように思えた。 ……苦労してるのか。 「とにかく、そういうことで」 そう言うと、奴は一方的に電話を切った。 切れた電話を、僕はぼんやり眺める。 「ねえ……本当にやるの?」 香草さんが心配気に聞いてきた。 元々香草さんは乗り気でなかったもんな。 計画が現実味を帯びてくるにつれ、気は重くなる一方だろう。 「大丈夫だよ。ああ見えてもシルバーはできる奴なんだ」 「なら、ゴールドがいなくてもアイツ一人でいいじゃない!」 「……やっぱり放っておけないよ。昔っから考えるよりまず行動って奴だから」 「でも、ゴールドが危険な目に会うことは無いじゃない! シルバーなんかよりゴールドのほうがよっぽど大切よ!」 「香草さん、これは僕の問題でもあるんだよ。ロケット団を倒すことで、僕は過去にけりをつけたいんだ」 香草さんが悲しげに俯く。 彼女もきっと分かっているんだろう。 僕が過去に抱えている未練を。 五歳のあの日。 あんな事件さえなければ、今とはまるで違った日々があっただろう。 シルバーは家を失うこともなく、ランは親を失うこともなく。そうしてきっと今頃はシルバーとランも正式な旅の参加者で、僕とは互いにライバルとして切磋琢磨して、互いを高めあって…… でも、そんな未来は訪れなかった。 だから、ロケット団を倒すことで、過去を終わらせたいというのは僕の正直な気持ちだ。 だけど、それ以上に。 アイツは……シルバーは、ロケット団を倒したあと、どうするつもりなんだろう。 僕と同じように過去を清算して、それで先に進むのならいい。 アイツのしたことはたとえ犯罪者相手だとしても許されることではないけれど、僕はそれを裁くつもりは無い。 でも、アイツが計画を急ぐのは。 もしかしたら、アイツはロケット団相手に死ぬつもりじゃないか。 そう思えて不安なんだ。 生きて罪を償えとかそういうことじゃなく。 僕はアイツに死んでほしくなかった。 つい先日まで、自分で殺そうとしていた相手に死んで欲しくないと思うなんて滑稽かもしれないけどさ。 白々しさを覚えつつも、僕は俯く香草さんを抱きしめた。 彼女は僕により密着するように体を押し付け返してきた。 出発の準備を終えた僕は、ポポの容態を見に行った。 三日後と言われれば、今日中にはここを発ちたい。 もしポポが飛ぶことは無理でも、歩いて旅を出来る状態になければここに残しておくつもりだ。 女医さんに聞いたら、どうもまだここから動ける状態には無いらしい。 当然といえば当然だけど、少し心が痛む。 急用が出来たので一旦古賀根市に戻らなければならないといって、ポポをここにおいていく許可を取り付けた。 最後に一目彼女を見ておきたくて、看護婦さんにポポの病室まで案内してもらった。 ポポはちょうど胸まで毛布をかけて眠っていた。 彼女に直接話をしなくてすむことに、少し安心する自分が嫌になる。 817 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 12 58.43 ID Nn8VuQXE [5/9] 肩が覗いているので、薄い水色をした患者衣に着替えているのが分かる。 毛布の上に翼は投げ出されていて、それには白い包帯が巻かれていた。 穏やかな顔で、安らかな寝息を立てる彼女を見て、少し涙ぐみそうになる。 こんな大怪我をさせてしまった。僕は本当にトレーナー失格だ。 そして、僕はそれでもこれからまた危険な場所に自ら赴こうとしている。 大切な人を巻き込んで。 トレーナどころか人間失格だ。 それでも、僕は進みたいんだ。 ごめん、そしてさよなら、ポポ。 全部終わったら、そしたら、皆が幸せになれる、そんな未来のために尽力しよう。 そう決意し、病室を後にした。 ポポを置いていくことを告げると、香草さんは少し嬉しそうだった。 すぐにポケモンセンターを後にした僕達三人は、ただひたすらに古賀根市を目指した。 日が暮れ、次の日が昇る頃には湖に突き当たった。 相変わらず水面は穏やかだ。 「やどりさん、お願いできる?」 「うん」 水に入るやどりさんに捕まろうとしたところで、 「ちょっと待った!」 と香草さんに止められた。 「どうしたのチコさん?」 「わざわざやどりに頼る必要なんて無いわよ。見てて」 彼女はそういうと、無数の蔦を出し、編み上げて湖の上に置いた。 その上に飛び乗ると、次から次へと蔦を出し、その上を歩く形で湖の上を歩いていく。 ええ? 自分から出ている蔦の上に乗って歩く? これって物理的におかしくないか? いやでも現に歩けてるし、おかしくないのか? 「ほら、はやく」 軽く混乱状態に陥った僕の手を取り、彼女はどんどん先に進む。 いやホントにどうなってんるんだこれ。 実際に歩けていながらも、自分が歩けていることが不思議でしょうがない。 「やどりさんも、この上歩いたら?」 「……いい」 僕がそういうと、彼女は顔を半ばまで水に沈め、ぶくぶくと泡を吐きながら泳ぐ。 自分の出番を奪われて拗ねてるんだろうか。 湖を踏破すると、今度は廃墟と化した通行所に突き当たった。 瓦礫が避けられ、一応通れるようになっている。 ここの景色を見たことで、数日前の悪夢が蘇ってくる。 まったく、あの後の僕は酷い有様だった。 「ここがランと戦ったって場所ね」 香草さんの言葉に、僕は無言で頷く。 「心配しなくても、ちゃんと勝つわよ、私は」 香草さんは自信満々に笑う。 相性がよろしくないんだから少しは心配して欲しいものだ。 何せ水すら消し飛ばすような熱だ。 植物がどうなるかなんて、周囲の黒変した木々を見れば明白だ。 少し想像してしまい、背筋に悪寒が走った。 「あ、もしかして、ゴールド、具合悪いの?」 憂鬱が表情に出ていたのだろうか、香草さんは途端に不安げに顔をゆがめて僕の顔を覗き込んでくる。 「ち、違うよ。ただちょっとこのときのことを思い出していただけだよ」 「そうね、あいつらはゴールドを傷つけたんだもんね、許せない」 「チコさん!」 「あ、ご、ごめんなさい。私ったらつい熱くなっちゃって……」 そういう香草さんは強く両手を握り締めていた。 「これだから、直情馬鹿は、困る」 毒を吐くやどりさんを睨むだけで済ませたのは香草さんに余裕があるからだろうか。 「あんな役立たず共と違って、私はちゃんとゴールドを守ってあげるからね」 あ、気のせいだった。 818 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 13 51.23 ID Nn8VuQXE [6/9] しかし、ポケモンと人間の差はあるとはいえ、女の子達に守ってもらってばかりで、僕は本当に形無しだな。 ランに負けたことに関してはやどりさんも言い返せないらしく、悔しげな顔で黙っていた。 「チコさんもそんな言い方しない。それに、この辺を見れば分かるけど、彼女は本当に強いんだ。嘗めてかかっちゃ駄目だよ」 「ご、ごめんね、そんなつもりじゃ……」 おろおろと泣き出しそうになる彼女を軽く抱き、耳元で囁く。 「僕は僕より香草さんが傷つくほうがいやだよ」 ああ恥ずかしい。 しかし正直、彼女の情緒が不安定になるたびにこういう甘い台詞を吐くのも、それを受けて本当に可愛らしい反応をしてくれる香草さんを見るのも、まんざらじゃなかった。 こうしてイチャイチャしてたら槐市に着いた。 ここのポケモンセンターで一泊し、翌朝、早朝から古賀根市に向けて出発した。 香草さんはこの世のありとあらゆる全てに感謝しかねない勢いでご機嫌だが、やどりさんはもはやこの世界に朝は訪れないんじゃないかと錯覚するくらい暗い。 半ば死地に赴くのだから香草さんのテンションのほうが異常なのだが、やどりさんの低いテンションも正直なんとかしたい。 通行人がひぃっと短い悲鳴を上げていくのは多分気のせいじゃないはずだ。 夕暮れ前には古賀根市についた。 というか道中、野生のポケモンや動物に一切あわなかった。 何かよく分からない力でも働いているのか、それとも。 早々に宿を取ると、シルバーからの連絡を待った。 訂正しよう。香草さんとデートをしていた。 いやあ、のんびりするのも楽しいけど、こうやって街で遊ぶのも楽しいね。 僕は今まさに人生の春を謳歌しているよハハハ。 と、突然ポケギアが震えた。 まったく、折角のデート中に誰だよ、無粋な奴め。 苛立ちながら画面を見ると、見たことのない番号だ。 出ると、案の定シルバーだった。 そりゃシルバーならしょうがないよな。あいつはそういう奴だ。 おいおい、少しは空気ってものを読めないと女の子にもてないぜ? もちろん僕は勝者で余裕があるからその程度で目くじら立てたりしないけどさははは。 「ゴールドか?」 「ああ」 はあ。現実逃避のために少々おかしくなっていたテンションが急速に現実へと引き戻される。 「どうした? 禿げそうな声だして」 「うるさいな、どんな声だよ。それで何の用だ?」 僕は香草さんに目配せして、折角のデートが中断されたことを心の中で詫びた。 「お前が色々細かいこと言い出したから電話したんじゃねーか。それで、ちゃんと古賀根街にはついてるんだろうなあ?」 「当たり前だろ。時間が余りすぎてデートが出来るくらいだ」 「ははっ、デート? お前が? ありえねえ。相手がいねえだろ」 そう言って彼はまた大笑いしている。 「ふっ、若葉さんちのゴールドちゃんと言えばご近所でちょっとした有名人だったんだぜ? 僕の流し目一つで、女達は我が我がとお菓子を差し出して来たさ」 小さいころはかわいいかわいいと、そりゃあ持て囃されたものだ。……近所のおばちゃん方にだけど。 「すまん、その、なんつーか……悪かった」 「謝るなよ! それじゃ僕がまるで痛い人みたいじゃないか!」 「痛い人っつーか……いや、そういやお前と漫談してる暇は無いんだった」 「お前のせいだろ。つーか暇が無いって、そんなに計画は近いのか?」 「……いや、ランが、な」 シルバーの声が一気にトーンダウンする。もしかしてこれが彼が先ほど言った禿げそうな声ってやつなのか? 「……心中お察しするよ。というか、アレは何なんだ? どうしてあんなことになった?」 「俺が聞きてえ。お前幼馴染だろ、何かわかんねえのか。わかんねえだろうな、お前昔っから鈍かったからな」 「十年一緒に逃避行してて、それでもまだ分からないほど鈍い奴に言われたくねえよ」 「……お前、本当に大変だったんだぞ……大きな声じゃ言えないけどな……」 820 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 14 27.86 ID Nn8VuQXE [7/9] シルバーの声は冗談っ気の無い真剣そのもののものだったけど、僕ははっきり言って事態を甘く見ていた。 端的に言えば、ランの狂気を嘗めていた。シルバーは正気を保って生きているだけで敢闘賞ものだということを理解していなかった。 「僕だって大変だったさ。それで、計画のほうはどうなんだ?」 「ああ、お前に言われたことは大体調べた。データ化してポケギアに送っとくから細かいことは勝手に考えろ」 「出来れば会って話がしたい」 「そりゃそうだが、どうも厳しそうだ。ランの目を誤魔化せる気がしない。計画の決行自体はまだ二週間近く先だから、もし機会があったらこっちから連絡する。送るデータに緊急時の連絡先を書いとくが、よほどのことが無い限り連絡するなよ。殺されるからな」 「誰が?」 「お前が、だよ」 「そんなこと……」 「言いたいことがあるのは分かるが、もう切るぞ。遅くとも二週間後に会おう」 彼はそれだけ言うと、一方的に電話を切ってしまった。多分リダイアルしても無駄だろう。 軽く溜息を吐いて振り返ると、香草さんが額に青筋を浮かべてこちらを見ていた。 「……どういうことよ……女達にモテモテだったって」 女達にモテモテ? 何のことだ? 僕は自慢じゃないが生まれてこの方女の子に囲まれてもてはやされるようなことは一度も無かったんだけどな。 「もしかして、さっきの冗談のこと?」 そこまで考えて、それに行き当たる。 冗談以外に誤解の仕様が無い言葉だと思ったんだけれど…… 「冗談? そ、そうよね! ゴールドが女にモテモテなわけ無いものね!」 彼女は引き攣っていた顔をパアッと綻ばせ、嬉々としてそう言う。 いや、確かに事実だけどそんな嬉しそうに言わなくても…… 「あ、ち、違うのよ。別にゴールドがもてなくて嬉しいとかそういうことじゃなくて、いや嬉しいんだけど、その、違うの!」 「大丈夫だよ、分かってるから。それに……」 「それに?」 「チコさんにだけもてれば、それで十分だよ」 彼女は顔を真っ赤にし、手を胸の前で震わせ、オロオロしている。 そしてそのまま何事かを呟きながらゆっくりと後ろに倒れていった。 「チコ!?」 倒れかける彼女を咄嗟に抱きかかえる。 「……しあわせすぎてしにそう」 彼女は平坦な口調でなにやらブツブツを言っている。 人々の視線が向けられているのが分かる。 さすがに公衆の面前でこれは恥ずかしい。 馬鹿ップル死ね! 照れ隠しにそんな自虐をして、その後しばらく香草さんとのデートを楽しみ、ポケモンセンターに帰還した。 やどりさんの姿はなく、ちょっと出かけてくるとの書置きがあった。 帰還するとすぐにポケギアに送られてきていたデータを展開し、考証する。 僕は冒頭から早速驚愕させられることになる。 一枚目の内部文書と思われる書類。 そこにはでかでかと、ラジオ塔乗っ取り計画、と主題が書かれていた。 821 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 15 08.90 ID Nn8VuQXE [8/9] ラジオ塔とは古賀根市にシンボル的に聳え立っている電波塔兼番組製作所のことである。 ら、ラジオ塔乗っ取り? 二つの意味でびっくりだ。 一つは、大都会のシンボル的有名建造物を狙う大胆さ。 もう一つは、ラジオ塔を乗っ取る意義がまったく分からないことだ。 だってラジオ塔だよ? 兵器も道具もない。数年前のシルフカンパニー乗っ取りはまだ納得できたけど、ラジオ塔なんて乗っ取ったところで何が出来ると言うのか。日がな一日毒電波でも発し続ける気だろうか。 しかもこんな人目につく、人口の多い場所で。 人口が多ければ当然それを管理する人間の数も多い。シンプルに言えば、警官がたくさんいる。 しかもラジオ塔は目立つ。とっても目立つ。 まるで狙う意味が分からない。 すぐに嘘の情報を掴まされたんじゃないかと言う懸念が頭を過ぎる。 しかしその資料を読み進めるにつれ、恐怖で血の気がみるみる引いていった。 顔が青いと香草さんに心配されるほどだ。 あの集団頭痛事件はやっぱりロケット団の仕業だったらしい。 この資料によると、ロケット団はポケモンがある種の大域の電波から影響を受けることを発見していて、それについて研究を進めていたらしい。 その研究の成果がアレというわけだ。 全てのポケモンが一斉に行動不能になれば、当然人間社会は成り立たない。 そしてあのラジオ塔の電波が有効に届く範囲は国土の半分以上だ。 そこであの電波を流されたら…… 丁子町の再現が、全国規模で起こる。 社会がひっくり返ってしまう。 きっと、それが最終目的じゃないだろう。 狙いはおそらく、騒ぎに乗じた国の中枢機能の乗っ取り。 今この国は、喉元に刃を突きつけられたも同然だった。 電波がポケモンに影響を与えるなんて話、今まで聞いたことも無く、俄かには信じがたいだろう。 あの丁子町の件を知らなければ、だけど。 なんてことだ。 事態は、僕の想像よりもはるかに重大で広大だった。
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562 :日常に潜む闇 第11話 ◆4wrA6Z9mx6 :2011/01/29(土) 21 49 02 ID sdrmu9Zw ~side of Misae and Seiji~ 「あの、美佐枝さん」 「どうした? そんな改まる必要はないぞ?」 戸惑う久坂誠二に対して、天城美佐枝は優しく、しかし凛とした口調で語りかける。 二人はいま学園の商業区にいる。 しかし場所が問題だった。 「ところで誠二、これなんかはどうだろうか」 「いや、あの……」 美佐枝に尋ねられるが、誠二はまだ何かを言いたそうに口ごもる。 それもそのはず。彼らは服飾店にいるのだ。それもただの服屋などではない。ドレスを取り扱う専門の店だった。 別に大したことはないと思うかもしれない。確かに、ただ単にドレスを品定めに、買い求めに来たのならばそうだろう。 ところが美佐枝が欲していたものはただのドレスではなかった。 「そう照れられると、私も恥ずかしい気分になってしまうのだがな」 「う……ごめん」 視線を横に逸らしつつ、誠二は窮する。 正視すれば、彼女の姿が見えてしまうからだ。 漆黒の、しかし細かい意匠が施されたドレス。いや、むしろドレスと呼んでよいかも疑わしい。 もう少し生地が薄く、彼女の肢体を覗き見得るようなことになればベビードールと呼んで差し支えない気がする。 「でもさすがに露出が激しいのはちょっと……それに、その……胸が……」 「私が前に屈んだりすると上乳が見えてしまう、ということか? それとも横から眺めると横乳が見えてしまうということかな?」 「…………敢えて指摘しなかったところを、口に出して言わないでください」 顔を真っ赤にして抗議する誠二。しかし他の人がいるということもあり、声を大にしては言わない。 店内には何人かの女性スタッフや女性客がいるが、初々しい言動を見せる誠二にくすくすと笑っていた。 「別に外で着るわけじゃないさ。夏向けの、ちょっとした部屋着だよ」 「部屋着にドレスですか?」 美佐枝の説明に、外出用に着るわけじゃないから安心しろという意味が込められていると考える誠二は疑問を呈する。 普通ドレスというものは、女性にとってのいわゆる晴れ着というやつではなかっただろうか。 「それは人によりけりではないか? それとも衆人環視の中これを身につけて、他の男どもに視姦されろとでも言いたいのかな? 誠二に命令されるのなら、私としては仕方なくそれを甘んじて受けるしかないのだが、な」 「ちょ……! なに言ってるんですか。冗談でもそういう変なこと言わないでください!」 誠二の慌てた様子に美佐枝は満足したように笑みを浮かべた。 「なに、ちょっとした悪戯心だよ。それに誠二がそんな下卑た真似をしないことくらい分かっているとも」 そんなことを言う美佐枝に、誠二は冗談じゃないと胸の中で呟く。 こんな下着みたいな格好で出歩けば、間違いなくガラの悪い連中に連れ去られるし、公然猥褻物陳列罪あたりで手が後ろに回ってしまうだろう。 563 :日常に潜む闇 第11話 ◆4wrA6Z9mx6 :2011/01/29(土) 21 49 25 ID sdrmu9Zw 「冗談でも止めてよ、美佐枝さん……さすがにそれは冗談とは言えないよ」 「ふふふ。そんなに怒らないでくれ、誠二。少し私もやり過ぎた。で、だ。そろそろ評価を聞きたいのだが?」 「いや、だから露出が激しいって。それに黒だなんて……」 ため息をついて誠二は先ほどと同じような答えを返す。 「扇情的か?」 「うん」 似合うかどうかを評価するのだから、さすがにこれ以上は恥ずかしがってなどいられない。 誠二は恥じらいを捨てて、評価に徹することにした。 「色は黒がいいと思うんだがな」 「でも美佐枝さん。露出は控えめにしたほうがいいと思うよ」 「どうせ部屋着といっても寝るときくらいしか使わないだろうから、これくらいでいいと思うのだが?」 「でも洗濯物とか干すときにベランダに出るでしょ?」 「私は部屋干しをするが?」 「うーん……。それならいいかもしれないけど……」 「基本的に窓はカーテンで閉め切っている。それに寝室でしか着ないさ」 「…………寝間着用ってこと?」 「ある意味そうとも言う」 「……最初からそう言ってよ」 「ふむ……説明が少し欠けていたか?」 「少しどころか、かなり」 「それはすまなかった。それで、これでいいだろうか?」 「……やっぱり寝間着なら普通のパジャマとかのほうがいいんじゃない?」 「私は苦しいのは苦手なんだ。やはりこれくらい開放的なのがいいと思うんだがな」 美佐枝はそう言って、胸のあたりの布地をひらひらと振り、開放感をアピールしてみせる。 が、誠二からすれば、普段は制服越しでしか分からない彼女の胸が見えたり見えなかったりの繰り返しなので、精神衛生上あまり好ましくない状況だったりする。 ちなみに美佐枝は着やせするタイプらしい。普段は制服で隠されているが、どうやら胸は大きめのようだ。 「美佐枝さん、このドレス? いやなんていうかベビードールとしか思えないんだけど。とにかく露出が激しいからあんまり胸元をパタつかせないでね」 さすがに勃起しかけたとは言えない。 誠二の注意に、美佐枝は一瞬だけ思案するような表情を浮かべ、すぐに納得した。 「つまり妖艶だと言いたいのだな? ふふ。素直で可愛いな、誠二は。私はそんな君が、やはり好きだ」 言われて、誠二は自分の顔が熱くなるのを感じた。 美佐枝は、これを買おう。と言って試着室へ籠もってしまった。 「最近の高校生って、大胆よねえ」 「そうよねー。私もあれくらい度胸があればなあ」 会計の後、店員が背後でそんなことを言い合っているのが耳に入り、誠二がまた真っ赤に茹であがってしまったというのは全くの余談である。 564 :日常に潜む闇 第11話 ◆4wrA6Z9mx6 :2011/01/29(土) 21 52 09 ID sdrmu9Zw 「ところで美佐枝さん」 「ん? どうした?」 歩きながら、誠二は美佐枝に話しかける。 「どうして僕を連れてドレスを買いに?」 「それはどういう意味かな?」 彼の問いに美佐枝は何か含みのある笑みで逆に問いかける。 「寝間着を買いに行くなら別に連れて行かれる理由はないと思って」 「ああ。そのことか。それはな……秘密だ」 「秘密?」 「そう。秘密だ」 そう言って美佐枝は誠二の正面に立った。 つられて、誠二も立ち止まる。彼女の真摯な眼差しに、胸がざわつくのを禁じ得ない。 「さあ、私について来てくれ」 美佐枝は誠二の腕を掴み、小走りで進み始めた。 いきなりの展開に誠二は躓かないでついていくのが精いっぱいで美佐枝に引っ張られる形となる。 「み、美佐枝さん!?」 「ほら、早く行くぞっ!」 なぜか嬉々とした表情ではしゃぐ美佐枝。 雑踏の中をまるで水を得た魚のように移動して二人が向かった先は――美佐枝の家だった。 「さあ入ってくれ!」 美佐枝は誠二に入るよう促すように彼の背に手を伸ばして歓待の体勢をとった。 しかしそれは穿った見方をすれば、彼を逃がさないためとも言える。 「え、あ、えーと、おじゃまします」 戸惑いを隠せないままに誠二は靴を脱ぐ。 正直、友里との一件があったために怖い。もし、美佐枝が友里と同じような行動に出た時、果たして自分は逃げることができるのか。 逃げれば、心の拠り所を失う。しかし逃げなければ、自分が自分であることを失ってしまう。尊厳を自ら潰してしまうということだ。 「ふふっ。そんなに畏まらなくてもいい。ここは私の家。そして私の家ということは、ここは誠二の家でもあるんだぞ?」 「う……じゃあ、ただいま」 「ふふ。おかえり、誠二」 美佐枝に言われ、ならばと意趣返しで言ってみたら、逆に彼女の言葉にどぎまぎしてしまう誠二。 しかし美佐枝は一枚も二枚も上手だった。 「まるで恋人か夫婦になったみたいだな。ご飯にするか? 風呂にするか? それとも、私を食べるかい?」 「っ……! なに言ってるんだよ!」 反射的に声を上げ、ムキになる誠二。顔が急激に熱を帯び始めたのが分かった。 「くくく。冗談だ。私としても実に惜しいことではあるが、とにかく居間へ来たまえよ」 愉快だと言わんばかりの表情を浮かべ、美佐枝は誠二をダイニングへ案内する。そして着替えて来ると言って、自室へ向かってしまった。 手持ち無沙汰な誠二は、きょろきょろと居間を見回す。 美佐枝の居室は学園大学部の経済学部が実習で行っている不動産が管理している小規模なマンションの一室のようだ。 というのも、彼女の居室は玄関から入るとまず目の前に廊下が伸びており、すぐ左脇には居間が、さらに廊下を進んで左に曲がってすぐに彼女の個室、その奥にトイレと風呂場がある。 またいちいち遠回りになる廊下を使わなくてもいいように居間から個室のある廊下側へ往来ができるようドアが設けられている。 最も、ドアを除いた後半部分は憶測にすぎないが。 しかしこれだけ一部屋あたりを広く作っている所は学園内において、学園組織が運営する学生寮には存在しない。 学生寮ならば、配置こそそれぞれで違うものの、往々にして、入ってすぐに調理場、反対側にトイレ、風呂場。奥の部屋が居間で、そこが言わば個室となる。 「広いなあ」 思わず感慨深げに呟いてしまう。 565 :日常に潜む闇 第11話 ◆4wrA6Z9mx6 :2011/01/29(土) 21 53 19 ID sdrmu9Zw このリビングもそれなりに広い。なにせシステムキッチン、テーブルの他、今彼が座っているソファまでもが置ける。 確かに誠二は自宅からの通学で、学園外に住んでいる。一軒家なのだからここ以上に広いが、自分だけの空間というわけではない。 自分の部屋の広さという点では、美佐枝の居室のほうがはるかに広いのだ。 「待たせたな」 そう言って、美佐枝がショートカットの経路を通ってやって来た。 が、彼女のほうに視線を向けて、開いた口が塞がらなかった。 「ふふ、どうした?」 「どうしたもこうしたも……その服って」 「そうだ。誠二、お前が私のために選んでくれたドレスだ」 美佐枝はあのベビードールまがいの黒のドレスを着ていた。 誠二とは対照的に、落ち着きのある態度でキッチンへと足を運ぶ美佐枝。 「いや、でもそれは寝間着用だって……」 「部屋着、とも言ったはずだが?」 ああ言えばこう言う、と言った風に言い返すと彼女はこちらに向かって来た。 「さあ、執行部入部祝いだ。と言っても、菓子の類で実に粗末なのだがな」 美佐枝はいたずらっぽく微笑み、誠二の目の前のテーブルに皿を置いた。 ワンホールの大きなケーキだ。見方によっては小さなウェディングケーキとも言える。 確かにささやかな祝い事にケーキと言う選択はなかなかに良いものだろうが、いかんせんその大きさはささやかどころではなかった。 「美佐枝さん、これ作るの大変じゃなかった?」 目の前のケーキは、ソファの高さに合わせてある脚の低いテーブルに置かれているというのに、胸の下あたりまでの高さがある。 大きさに圧倒され、思わず尋ねてしまう誠二。 「いや? 誠二のためにと思えばこれくらいなんてことはないさ。愛すべき者に食べてもらうんだ。これしきのこと、雑作もない」 取り皿に切り分け、美佐枝が差し出す。 上下二段で構成されているケーキだが、上段部分だけを上手く切り分ける技術にまたしてもちょっと驚く誠二。 「いただきます……」 フォークで切って、一口。 「……ん、美味しいよ。見た目とは裏腹に甘さ控えめでいいね」 誠二の言葉に美佐枝は嬉々とした表情を浮かべる。 「気に入ってくれたようでなによりだ。私としても嬉しいよ、誠二」 そう言って美佐枝は誠二の隣に腰を下ろした。 「どれ、私にも食べさせてくれないか?」 「え……?」 美佐枝の要望に、誠二の思考が固まる。 「自分が作ったものだが、私も是非とも食べたい。しかしフォークは一本しかない。だから、食べさせてはくれないか? 誠二」 「だ、だったら取りに行けばいいんじゃない?」 恥ずかしいとは口にできず、誠二はそんなことを言って抵抗を試みる。 3 :日常に潜む闇 第11話 ◆4wrA6Z9mx6 :2011/01/29(土) 22 12 56 ID sdrmu9Zw 「私は恥ずかしさをこらえて頼んでいるんだ。それなのに、フォークを取りに行ったら私のこの努力は無駄になってしまう。それは私としては非常に心苦しいことだ。それに、私に恥をかけ、とでも言うつもりかな?」 彼女の反論に、誠二はたじろいだ。 「う……でも……」 「駄目、なのか……?」 急に自信のない口調で、不安げな表情でこちらを見つめる美佐枝。 突拍子もない彼女の変化についていけず、誠二は混乱してしまう。 「い、いや、別に駄目ってわけじゃないよ。ただ、その僕が恥ずかしいというか、なんというか」 言っていて、カァッと頬が熱くなるのを誠二は感じた。 美佐枝はそんな誠二から目を離し、テーブルのほうを、いや、そちらを向いてはいるが、視線はどこか遠くを見つめて独白する。 「……私は、誠二に拒絶されないか不安なんだ。この頼みだって、本当は怖い。恥ずかしさもあるが、それ以上に私が拒まれないかひどくおびえている」 自分自身の肩を抱きしめる美佐枝。 「だから、私と誠二が一心同体である証拠、それが欲しい。…………私に食べさせてくれないだろうか?」 「美佐枝、さん……」 いきなり、露骨なまでに心情を吐露され、誠二は自分の浮足立った言動に激しい後悔と憎しみを抱いていた。 普段は凛とした振る舞いを見せるあの天城美佐枝が、不安と恐怖で内側から呑みこまれそうになっているのだ。 そんな姿を目にすれば、彼女に多大の恩がある誠二はどうして無視できようか。 「…………いや、すまない。君にこんな醜態を晒してまで求めるべきではなかったな。ふふ。誠二、君といると、なかなかどうして、私は弱い自分をさらけ出してしまいたくなる」 「美佐枝さん、ほら、あーん」 自嘲気味な彼女を無理矢理黙らせるように、誠二がフォークで丁寧に切り分けたケーキの一部を美佐枝に差し出した。 「いいのか…………?」 「もちろん。……まあ、恥ずかしいけどね」 美佐枝は恐る恐るといった風に口を開け、誠二は緊張を表に出すまいと平静を装い、彼女の咥内へケーキを運ぶ。 「ん…………ありがとう、誠二」 一口一口、大切に噛み締め、嚥下した後に美佐枝は嬉しさと安堵が入り混じった口調で礼を言う。 「どういたしまして」 誠二は気恥ずかしさを隠すためにおどけたような返事をした。 しかしそれだけではやはり抑えられるものではなく、気を紛らわせたくて、自身もフォークを使いケーキを一口食べる。 「ふふふ。間接キス、だな?」 「――ッ!? ゲホッ! ゴホッ!」 美佐枝のその言葉に、誠二は思いっきりむせてしまった。 「いきなりなにを……!」 「む? ……私との間接キス、やはり嫌だったか?」 「い、いや、そんなことは、ないよ」 敢えて聞いてくるあたりがずるいと誠二は思う。 そもそも食べさせてあげた時点で嫌なはずがないのに、どうしてさらにその先を行く間接キスで嫌がらなければならないのだろうか。 「ふふ。からかってすまない。だが、私は嬉しい。嬉しくてたまらない」 美佐枝は誠二へと寄り、さらに密着する。距離で言えば、膝と膝がくっつき合うほどに。 「あ……う……」 彼女の妖艶な微笑みに、誠二はたじろぐ。 どことなくあの時の友里と似たような雰囲気を感じるような気がしてならない。 頭の奥底で本能が警鐘を鳴らす。しかしどうしたことか身体はこの状況を甘んじている。このまま雰囲気に流されることを認めていた。 「今度は、直接――」 吐息を感じられるくらいにまで迫り、美佐枝は優しく、まるで繊細なガラス細工に触れるかのように誠二の後頭部へ手を伸ばした。だがそれはまるで逃げ場をなくして獲物を捉えるようだとも言える。 ところが突如、誠二の胸ポケットから電子音が控えめに、しかし感覚的にはそれなりに大きな音量で鳴り響いた。 4 :日常に潜む闇 第11話 ◆4wrA6Z9mx6 :2011/01/29(土) 22 13 21 ID sdrmu9Zw 「あ……ごめん。ちょっと待ってて」 その音で一気に現実に引き戻された誠二は有無を言わさず美佐枝の手のうちから素早く抜け出す。そして携帯電話を取り出しつつ廊下へ出た。 「もしもし……?」 『あー、俺だ。俺』 「オレオレ詐欺?」 『またの名を振りこめ詐欺とも言う――って違う! 俺だ! 弘志だ!』 スピーカー越しの怒鳴り声に、思わず誠二は顔をしかめる。 抗議をしようと口を開きかけたが、その前に雪下弘志が喋り出した。 『大声出してすまん。とりあえず今から会えるか?』 「え?」 『今後の対策について話したい。……生徒会のことも含めてな』 「あー、うん。分かった」 『俺は臆病者だからネズミみたいに裏でコソコソ動き回ることしかできない。それについて俺はお前に詫びるべきか否か迷っているが、まあそんなことはどうでもいいか』 「今とんでもない本音が漏れたよね。本人を前にして言うべきじゃないことが」 『疑心暗鬼になって誰彼構わず疑うのも有り。腹を割って心の内をさらけ出していると判断してもよし。それは誠二次第だな』 「今カッコイイこと言ったとかって思ったでしょ?」 『知らん。で、来るのか?』 二度目の問いかけに、誠二は一瞬だけ迷う。 ここで弘志のもとへ行くのも有り。美佐枝と共にここに留まるのも有り。 しかしこれ以上ここに居続ければ何か大切なものを失いそうな気がしてならない。今の美佐枝の雰囲気は、友里の部屋に遊びに行ったあの日あの時の彼女に酷似している。 「…………行くよ」 そう言うと、弘志と落ち合う場所を決めて通話を終了した。 ダイニングへ戻り、誠二は美佐枝に告げた。 「ごめん、急用が入っちゃった。今日はこれで帰るね……」 「…………む、そうか。だがどうしたんだ?」 「いや、ちょっと用事がね」 誠二が口籠ると、美佐枝の雰囲気が微妙に変化した。 「それは私よりも大切なのか?」 口調に僅かながら険が含まれ、普段から鋭いその態度が誠二に詰問されているような錯覚をもたらす。 「えーと、それは……」 「なあ、誠二。私たちは一心同体のはずだよな?」 そう約束したはずだよな? これは約束違反ではないか、と暗に責め立てられていると感じる誠二。 ひしひしとその身に当てられるプレッシャーに、意図せずして脚が後ろに下がる。 「どうした? 私に言えない何かなのか? 一心同体であるならば隠し事は無しのはずだろう? どうして無言でいるんだ? どうして逃げようとするんだ?」 「あ、う……」 まくしたてられ、何も反論できない誠二。 美佐枝はソファから立ち上がり、誠二へと静かにゆっくりと歩み寄る。 「女か? 女に会いに行くのか? 私というものがありながら、別の女と逢引するつもりなのか?」 冷静な様で責め立てるようなその口ぶりに恐怖を覚え、誠二は頭を振って弱々しく否定することしかできなかった。 「違う……違うよ…………」 「ならばどうして否定しない? 私はただ単に問いかけただけだ。問いかけただけなのにどうして真実を口にしない? なあ、教えてくれないか? どうしてなんだ?」 じりじりと迫る美佐枝に対して、おののき後退し続ける誠二。しかしとうとう壁に背が着いてしまった。 途端、同じくらいの身長のはずなのに美佐枝の背がひと回りもふた回りも大きくなったように感じられる。 「なあ、どうしてなのか教えてくれないか? それとも私には言えない理由でもあるのか?」 「その…………ごめん!」 「きゃっ!」 誠二は美佐枝を突き飛ばす。 小さな悲鳴を後ろに聞き流して、一目散に玄関へ駈け出したのだ。 「後でちゃんと説明するからっ――! だからっ! 今はごめん!」 逃げるように謝罪の言葉を口にして――実際逃げ出したも同然なのだが――誠二はマンションの廊下を走り、エレベーターではなく階段を使って地上へ降りた。 そしてその足で直接弘志と合流するのであった。
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318 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 43 04 ID 0lY2Zvwi 14話「Typhoon Bambi」 21時半。お兄ちゃんはこれから、1階の部屋をくまなく掃除する。掃除機をかけ、ホコリ取りで見えないところも綺麗にし、水周りのカビを徹底的に磨き落とす。 床にワックスをかけたり、害虫対策の霧状薬剤を撒くこともあるが、経済上の理由から、最近は月末だけにしているみたいだ。ちなみに、2階はあまり汚れないせいか、掃除は週末にまとめてする。 終わるのはだいたいいつも22時半。しかも今日は、珍しく伯父さんが帰ってきている。場合によっては雑談などでさらに遅れる可能性もある。 少なくとも1時間、お兄ちゃんは確実に2階には上がってこない。 「最後にトイレの掃除をするから、その間に戻ればいいよね・・・」小さく口に出して確認し、再び枕に顔を埋める。そのまま大きく鼻で息を吸い、そのまましばらく呼吸を止める。 お兄ちゃんの匂いが鼻を通って、肺を満たす。それが血液に乗って全身を巡っていくのを想像すると、この上なく幸せな気持ちになる。 30秒ほどで限界が訪れ、弾ける様な勢いで口を開放した。 「はぁ、っ・・・・ふぅ」 少しだけ枕から頭を持ち上げて、息を整える。そして、呼吸が落ち着けば、もう一度。これを何度も繰り返す。昨日からこれを何回したのか、多すぎて見当もつかない。 今なら薬物中毒の人の気持ちが少しだけ分かるような気さえする。 今の私を支配するのは、幸福感と充足感。空を飛んでいるかのような、フワフワとした感覚に包まれている。 今までの私は、何をするにもどん臭くて、いつも周りの人に迷惑をかけてきた。それなのに、事故に遭い、さらに役立たずになってしまった。 そんな救いようの無い私に、お兄ちゃんは手を差し伸べてくれた、助けてくれた。私が困っていれば、すぐに駆けつけてくれるし、何か失敗をしても、笑って許してくれたお兄ちゃん。 そんなお兄ちゃんに、ようやく私は恩返しをすることができた。何も出来なかった私が、しかも独りでやり遂げたのだ。 お兄ちゃんは私にニコニコと、優しく笑いかけてくれる。それだけで充分。口に出さなくたって、お兄ちゃんが私を褒めてくれるのが分かる。 やっつけた。お兄ちゃんを唆して、私達のことを邪魔する敵を、私が独りでやっつけた。本当は見えないところでやるつもりだったが、結果的にお兄ちゃんも喜んでくれているのだから、問題はない。 「おにぃ・・・ちゃ・・・・」 319 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 43 28 ID 0lY2Zvwi 真夜中に、洗面所で馬鹿でかい蜘蛛と対峙した時、あまりの衝撃で数分間動けなかったことがある。ただでさえ衝撃的な出来事が、予想だにせず起きると、人間は思考、肉体共に固まってしまうようだ。 そして今、自室の部屋の前で俺は硬直している。ドアノブに手をかけようとしたままの状態で、どうするべきか分からずにいる。 部屋の中から聞こえてくる悩ましき声は、くるみのもので間違いないだろう。 くるみが俺の部屋にいることは知っていた。扉の立て付けが悪いせいで底が床に擦れてしまい、1階にはかなりの音が響く。居間にいれば扉の開け閉めは把握でき、慣れればどの部屋かすら分かるようになる。 本来、この時間の俺は掃除をしているはずである。しかし、予想外の来訪者のせいで、掃除は明日に持ち越すことにして、下手に絡まれる前にさっさと風呂に入ろうという算段だったのだが、それすらも崩されてしまった。 「あっ、おにぃ・・・」相変わらず、扉の向こうからは熱のこもった声が小さく聞こえてくる。 「・・・どうしたものかねぇ」 「なにが?」 「ぬぉっ」突然、背後から声を掛けられたせいで、驚いて前にのめってしまった。そのまま、扉に顔をぶつける。 部屋の中から、まるで女の子が驚いてベッドから落ちたような音が響いた。というか、確実にそれだろう。 「どーしたの、ケンちゃん」 振り返ると、バカみたいにニコニコと笑う姉がいた。 「どうもしない」 「あー、ケンちゃんがウソついたー」どうでもいいところで勘がはたらくのがこの人である。「まぁいいや。ケンちゃんあれ貸して、あれあれ」 そう言って姉が口にしたのは、俺が集めている内で最も好きな漫画だった。お色気が多く、女性受けするようには思えないものだが、何故か姉もこの漫画を全巻読んでいる。 貸すのは構わない。だが、今部屋に入れるのは、流石に気が引ける。くるみも気まずいが、俺のほうが数倍気まずい。 「あれさ、この前のが最終巻だったろ?だからもう読むのはないよ」 「後日談的なのが出たんでしょ?」 「まだ買ってないんだ」 「ウソだー。ケンちゃんこの前、買ったってメールで言ってたじゃん」 不覚。やはり咄嗟についた嘘では勝ち目がない。 「ああ、そっか。じゃあ後で持ってくよ」 「いいよ、悪いし」 「いや、大丈夫だから」 「それに、ケンちゃんの“後で”は遅いんだもん」 「ちゃんと持ってく、すぐ」 名案も浮かばぬまま、必死に時間を稼ぐ。部屋の中のくるみが上手いこと隠れてくれるのを期待してみるが、こういう時の彼女はあまりアテに出来ない気もする。 うだうだと押し問答をしていると、姉が急に口を閉ざし、俯いた。波がかった黒髪がフワリと目元にかかる。 『言葉のAk-47』と呼ばれる姉が口論の途中で黙るのは、どこか不自然に感じる。ちなみに、母の異名は『言葉のBARRET』である。いずれも名付けたのは父だ。 AK-47というのは命中率の悪い機関銃で、BARRETは1500m向こうの兵を真っ二つにしたライフルらしい。言い得て妙、というやつだ。 「なにをかくしてるの?」姉がポツリと、呟く。 「は?」 「ケンちゃんの部屋の中に、なにがあるの?」 「いや、だから」 なにもないよ、と言いかけて言葉が詰まる。姉の急激な態度の変化に、違和感を覚えずにはいられない。 「どいて」 言葉のでない俺を押しのけて、姉はドアノブに手をかけた。 そして━━ 320 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 44 01 ID 0lY2Zvwi そして、姉はドアに挟まれた。「ふぐぇ」という蛙が潰れたような情けない声を上げながら。 姉がドアノブに手をかけようとした瞬間、扉が内側から唐突に開かれた。目の前にいた姉はそのまま正面から直撃を受け、壁との間に挟まれた。 部屋の入り口には、くるみが立っていた。顔を真っ赤にして、涙目のまま、直立している。 「お、おに、おにおにおにい、ちゃちゃちゃちゃちゃ・・・」 「とりあえず落ち着きなさい」 「ここここここれ、か、かりりりるよっ」そう言って突き出した手には、姉が言っていた、例の漫画があった。 言い終わると俺の脇を抜け、一目散に自室へと駆け込んでいく。 彼女なりに頑張って考え出した作戦であったのであろう。悪くはないと思う。 「あぅあー」 なんともいえない脱力感のある声と共に、ゆっくりと扉が元の位置に戻っていく。それに比例して、床にへたり込んでいく姉が見えてきた。 「大丈夫か、姉ちゃん」 目の前で手を振ってみる。目で追ってはいるが、崩れかけのジェンガよろしく、身体はグラグラと左右に揺れている。 「はな、いたい」真っ赤な鼻から、鼻血がつつっと垂れていった。 ・・・ 地獄のテスト週間、そして悪夢のテスト返却が終わると、終業式となる。これを『夏休みの前の最後の関門』と取るか、『夏休みへの入り口』と取るか、その違いによってこの日のテンションは大きく変わる。 ちなみに、俺は後者だ。 「ぬぁー、校長の話なげぇっつうの」 「ヘチマの神様の話なんかもう何回も聞いたわ、あの野郎」 どうやら佐藤と叶は前者らしい。 1学期最後のホームルーム後、校門の前で、俺と佐藤と叶の3人でダベっていた。ウメちゃんは用事があるらしく、もう帰ってしまった。 おあつらえむきな晴天の中、誰も彼もが晴れやかな表情をしている。この時ばかりは、受験生の3年でさえも嬉しそうだ。この顔が9月には片っ端から真逆になると思うと、夏休みの意義について考え直したくなる。 「成績表なんか捨てて、思いっきし遊ぶぞー」 「海だー、山だー、温泉だー」 「お前らバレーしろよ」 「遊び優先だこの野郎」 暑さのせいか、佐藤はともかく、叶までネジが緩んでしまったようだった。 8月目前、それはつまり夏の序盤戦が終わり、いよいよ中盤戦にさしかかろうという時期だ。暑さは日に日に増していき、際限なく上がるのではないかと不安になってしまう。 しかし、大抵の人間はその疑問に胸をはらはらさせる前に、熱でやられてしまう。判断力が鈍るのも、奇行に走るのも、好きでもないあの子に思わず告白してしまうのも、全部、『夏のせいなんだ』と言い訳できてしまうほどに。 「何してんのよ、アンタら」 冷ややかな目線を送りながら、遊佐が校門から出てきた。今日は女子バレー部は活動するはずだが、と疑問に思ったが、鞄を持たず、その手には長財布があることに気づく。 さらに、同じように財布だけを持った女子が数名、遊佐の後ろにくっついている。そのうち数名は遊佐と同じく冷たい目を、数名はおびえきった表情で佐藤と叶を見ていた。――違った、俺のことも含めてビビッてるようだ。 「俺に訊かないでくれ」 「浅井ってこんなキャラだっけ?」 「今日は暑いから」 「ああ、なるほど」自分で言ったものの、あまり納得しないで欲しい。 「遊佐は買い物か」 「そ。女バレでお昼ご飯をね」 321 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 44 54 ID 0lY2Zvwi 遊佐が後ろを振り返りながら言うと、さっきまで冷ややかな目をしていた、見覚えのある何人かが笑顔で手を振ってきた。やっほー、だとか、ちわー、と気さくに挨拶をしてくれる彼女らは同学年だ。 1年の付き合いともなれば、俺があだ名ほどの人物どころか、実は大した奴じゃないことに気づいてくれるらしく、近頃ではこうやって、普通に接してくれる。 そして、その後ろで怯えながら頭を下げるのは1年生だ。こっちはまだ、俺のことが怖いらしい。正直、泣きたい。 「大丈夫よー、こいつただのヘタレだから」だがまぁ、遊佐のおかげで誤解が解ける日は近そうだ。十中八九、偏見が生まれるだろうが。 「ねぇねぇ、大将さ」お下げの子が話しかけてくる。確か、女子部のリベロの子だ。「1年の窪塚さんと付き合ってるってホント?」 急なことに弱いのは相変わらずで、返事も出来ずに固まってしまった。あの子のことだから、きっとわざと広めるとは思っていたが、いざその時となるとキツい。 「あー、あたしも気になってたんだ」 それを火種に、後ろに控えてた何人かが押し寄せてくる。どうして女性はこの手の話が好きなのだろうか。他人の色恋なんか聞いて楽しめる神経は、理解の範疇を超えている。 さっきまで怖がっていた1年生も、気になって仕方ない、といった表情に変わっているのにはさすがに呆れた。 「どういう経緯で付き合ったの?」 「やっぱ落ち込んでたあの子を慰めてあげたとか、そんな感じ?」 「もしかして、前々から狙ってたとか!?」キャーと黄色い声が飛び交う。 これぐらいだったら、普段ならばため息1つぐらいで流せる。ただ、どうしても、1つだけ許せないと感じてしまう。 「はいはい、そこまでね。憲輔も困ってんでしょー」遊佐が間に入って、今やテンション最高潮の女性陣を窘める。 「えー」 「杏が一番気にしてたんじゃん」 「いいから、アンタ達はさっさとコンビニ行ってきなさい」 遊佐が一喝すると、しぶしぶといった感じでその場を離れていく。 すれ違いざまに、「後で聞かせてね」とか、「急にごめんね」などという言葉を残して、彼女らはここから歩いて5分ほどのコンビニに向かっていった。 「ごめんね、あの子たちったら」 「さすが部長。部員を見事に統括してらっしゃる」 「ばーか」チョップをしてきた遊佐は、少し照れくさそうだった。 我が校のバレー部は男子女子共に夏休み突入前に早々と敗退し、3年生はかなり早い、とはいえこの部としては例年通りの引退を迎えた。 ただ“1人”を除いて、という点が腑に落ちないが、今更どうこう言える話ではない。 それから、男子バレー部の部長が佐藤登志男、女子バレー部の部長は遊佐杏に決まった。大将なのにヒラってどうなの?と、遊佐を始め多くの知り合いに言われたが、佐藤本人に言われたのが一番しんどいというか、堪えた。 未だに雄たけびをあげている2人をしばらく見てから、遊佐は辺りを気にしつつ、小声で話しかけてくる。 「で、本当にりおちゃんと付き合ってるの?」 「結局お前もか」まさか遊佐から訊かれるとは思てなかったので、苦笑を漏らさずにはいられない。「ホントだけど、なんていうか、その・・・」 「わけあり?」 「まぁ、うん、そう」 「よくわかんないけど、くるみちゃんから逃げるのは」 「わかってる、それは」 ならいいのよ、と言った遊佐は、そのまま黙ってしまった。目線を泳がせているが、今度はどうも、辺りを気にしているという風ではない。 「あの、さ」しばらく、微妙な空気が流れた後、遊佐が切り出してくる。「海行こうよ、海」 「海?ああ、合宿の話か。ちょっと個人の負担額が大きくないか?」 「いや、そうじゃなくてさ、個人的に、って意味」 「個人的?」 「そ。気晴らしにはパーッと遊ぶのが一番なんだからさ」 腰に手を当てて、遊佐は笑う。その顔にはまだどこか、照れ隠しのようなものが見え隠れしているように思える。そして、態度には表れなくとも、こちらを心配してくれていることも、伝わってくる。 「気晴らしか・・・いいかもな」 「決まり!じゃあ場所とかさ」 322 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 45 40 ID 0lY2Zvwi 「よーし、場所は俺に任せとけ。こう見えて、俺の一家は旅行好きが多くてな」遊佐の言葉を遮って、佐藤が割り込んでくる。 「海か、随分と行ってないな。よし、久しぶりに沖まで泳ぐか」 「なんでアンタらまで参加することになってるのよ!」 「他に海に行く予定がないからだよ!ここで割り込まなかったら今年も青春イベントお預けになっちまう」 むしろここまでくると清々しいなと思う反面、佐藤のキャラ崩壊が不安で仕方ない。 「なんだよ、お前。まさか憲輔と2人きりで――」そこまで言った叶の腹部に、遊佐の拳がつきたてられる。非常によろしくない音がした気がする。続いて、叶に便乗しようとした佐藤の尻に回し蹴りが炸裂した。 このままでは収拾がつかない。間に入るしかなさそうだ。 「いいんじゃないか?気晴らしならみんなで行ったほうが楽しいし」 「憲輔まで!」ぐだっている佐藤の胸倉を掴みながら、すごい剣幕で返事をしてきた。気圧されそうになる。 「私も参加したいですっ」 突如、背中に重みを感じる。同時に、本能的に幸福感を感じずにはいられない、柔らかなものが押し付けられていることにも気づく。肩越しに細い、綺麗な肌をした腕が伸びてきていて、俺の胸元あたりで合わさっている。 「窪塚さん?」耳元でした声は間違えようのない、彼女の声だった。 「半分当たりです」 頭を捻ると、ギリギリ彼女の顔を捉えることが出来た。眉をハの字にして、別の答えを期待するような、強請る様な表情でこちらを見上げている。 半分?なんのことなのか、皆目検討もつかない。 首を傾げていると、窪塚さんはわざとらしいため息を1つ零し、俺から離れた。そして俺の横に並ぶのだが、密着といっても語弊がないほど、ピッタリとくっついてきた。周りの目も痛いが、遊佐がじっと見てきているのがその数倍痛い。 「私も行きたいです、海」ニッコリと無邪気で可愛らしい笑顔を浮かべながら、片手を高々と挙げ、遊佐に向かって、『はい、先生』といった風に意見する。 「りおちゃんまで・・・わかったわよ、じゃあみんなで行きましょ」 遊佐はやれやれと言いながらも、どこか楽しそうに見えた。対して、さっきまではハイテンションだった佐藤と叶は、目に見えて戸惑っていた。 無理もない。昨日の今日と言ってもいいぐらい、俺らにとってこの前の事件は、まだ色濃く残っているのだ。 「そうねぇ。バレー部で、ってのもいいけど、この面子なら生徒会慰安旅行ってことでもいいかな。浅井はおまけで」 そんなことは露も知らない遊佐は、楽しげに計画を広げている。「梅本君誘って、あとはくるみちゃんも呼ばなきゃねぇ」 「引率とか、いなくてもいいのかな」窪塚さんが一瞬、険しい表情を見せたので、慌てて話題を変える。これ以上肝が冷えるのはごめんだ。 「どんだけまじめなんだよ、お前」叶が合わせてくれる。 「ん~、引率は置いとくにしても、足が必要なのは確かよねぇ」 「あし?車ってことか?」 「そうそう。電車とか、けっこーバカになんないし。あたし含め、参加者のほとんどはバイトしてないでしょ」 そういえば、叶がしているというのは聞いたことがあるが、他の面子は俺の知る限り、バイトをしていないはずだ。 「向こうに着いてからもちょくちょく移動するだろうし、今からバイト始めたら夏休み中には叶わなくなっちゃうしねぇ」 一瞬、姉の名前を出そうかと迷ったが、すぐに却下した。確かにあの人は免許を持っているし、帰郷する時は車だ。 だが、あの人の運転で少なくとも4回程、九死に一生を得ている身としては、みんなをそんなジェットコースターに招待するわけにはいかない。なにより、俺が乗りたくない。 「あぁ、それなら俺ん家で車出せるかも」意外な助け舟の主は、佐藤だった。「今、親戚が遊びに来ててさ、頼めば車出してくれるかもしんねぇ」 「ホント?でも、ちょっと申し訳なくないかな」 「でーじょーぶだって。人が良いのが取り得だし、なにより旅行好きだからさ。きっと喜ぶって」 それ以外に挙がった人数の問題も、車を二台出す、ということでまとまった。なんでも、その親戚の人が婚約者を連れてきたらしく、その人に頼んでみるそうだ。 随分と迷惑をかけることになるが、佐藤曰く、『そういうのが嬉い人たち』らしい。まだまだ捨てたもんじゃないなぁ、なんて感慨深く思っていたが、遊佐の、「ドMってこと?」という発言で全部台無しになった。 「んじゃ、細かい話し合いとかはまた今度ね。メール回すから」そう言い残すと、遊佐は走ってコンビニへと向かっていった。 それからすぐに、叶は用事で商店街へ、佐藤は親戚を待たせてるとのことで、その場で解散となった。 323 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 46 10 ID 0lY2Zvwi 「楽しみですねぇ、海」 しがみつくようにして俺と腕を組んでいる窪塚さんは、ニコニコとしながら、さっきから同じことばかりを言っている。その笑顔はあまりにも純粋で、演技という感じは微塵もしない。 そのせいか、俺の警戒もだいぶ緩んでしまっていた。 「反対してくると思ってた」 「まさか。私はそこまで露骨な真似はしませんよ」口元に手を当ててクスリと笑う。「あの女じゃあるまいし、周りから怪しまれるような行動したら本末転倒です」 甘かった。蜂蜜漬けのキャラメルよりも甘かった。 「確かに、他の女と一緒に、ましてや海なんかに行くなんて、正直、言語道断としか言いようがありません。ですが、そこに私も行くなら話は別です。 確かに遊佐先輩は全体的にスタイルがいいですけど、胸なら私のが勝ってます。あの女は問題外です。勝負になりません。 それに私は先輩の彼女だと、全校生徒のほとんどが知っていますから、流石にあの女も、みんなの前で迂闊に手は出せませんしね。一方的に見せ付けるチャンスです。 この夏休み中に先輩を海に誘う計画はしていたので、水着にもぬかりはありません。2人きりで行くのが叶いませんでしたが、もう一回行けばいいだけのことですしね。 あ、ちなみに水着はしっかりと、綿密に先輩の好みをリサーチした上で選びましたので、ご心配なさらず。行き先が決まれば2人っきりになれるポイントとかもチェックしなきゃですね。 あ、ゆなちゃんからカメラも借りてこなくちゃですね。先輩の貴重な水着姿をしっかりとおさめなくてはなりません。授業のプールでは見ることが出来ませんでしたから、今度こそはしっかりと撮らなくちゃですね。 アルバムに保存する用と拡大する分とあとは・・・どうしました、先輩?」 「・・・頭痛い」 今、彼女が口にしたことは、常人からしたら充分に狂っている。狂っているのだが、今までの彼女と比べると、どうしても微笑ましく感じてしまう。 そして、そう感じ始めている、状況を理解していない自分に対して頭痛がしてくる。 324 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 46 53 ID 0lY2Zvwi 「はい、くーちゃん」 お姉ちゃんが笑顔でガラスのコップを差し出してくる。お礼を言って、それを受け取る。氷の入った、よく冷えたカフェオレからは、明らかにカフェオレとは違う匂いが感じられたが、口には出さずにおいた。 一口飲むと、やはり、明らかにカフェオレとは違う味がした。あまり甘くない。コップを机の上に置く。 いま私がいるのは1階のリビングで、時刻は12時半。平日は毎日やっているお昼の代名詞ともいえるバラエティを観ながら、2人で昼食とその片付けを済ませ、のんびりとしだしたところだ。 本当ならお兄ちゃんを待つはずだったのだが、用事で少し遅くなるそうなので、先に済ませてしまった。 お昼はお姉ちゃんが作ってくれた。「何か作ろっか」と言って冷蔵庫を開けて材料を確認すると、あっというまにドリアを作り上げてしまった。 「簡単だよー」と笑っている通り、ドリアを作るのはそれほど難しくない。私だって作れる。 けど、『ドリアを作ろう!』と思って作るのと、『冷蔵庫にあるものから何か作ろう!』と思い立ってドリアを作り上げてしまうのでは、天と地ほどの差が、決定的な経験の差がある。 私ではそんな真似はできないし、こんなに手際よく作り上げるのも無理だと思う。 私の記憶では、お姉ちゃんはそこまで出来る人じゃなかったはずだった。むしろ、ドジばっかりしてた覚えがある。 そのことをお兄ちゃんに言うと、「あの人は努力が趣味だからなぁ」と皮肉なのか褒めてるのかよくわからない返事をくれた。 「晩御飯はくーちゃんに任せようかなー」自分の湯飲みと玄米抹茶を淹れた急須を手に、お姉ちゃんは私の向かいの椅子に座った。 「私のなんかより、お姉ちゃんが作った方が良いよ」 「そぉ?でもケンちゃんが絶賛してたから、あたしも食べてみたいなぁ」 お兄ちゃんが絶賛。話半分だとしても、たまらなく嬉しい。 「ところでさ、くーちゃん」余韻に浸っていると、お姉ちゃんが静かに、呟くように話しかけてきた。まるで、独り言のように。「なんか隠し事、してない?」 一転、胸元が、くっと絞まる。お姉ちゃんは微笑を浮かべながら、テーブルの上で組んだ手に顎を乗せて、こっちを見ている。 「なーんか隠してる?」 言葉が出ない。 「くーちゃんだけじゃなくてさ、ケンちゃんもなんだけどね。隠してるよね、なんか。ううん、絶対隠してる。少なくともケンちゃんは。あの子、隠し事ヘタなんだよねぇ。言葉が雑になって、短くなるんだよね、話し方が」 「そうなんだ」初耳だった。次からは気にしてみようと思うが、それどころはない。 どこまでかはわからない。でも、お姉ちゃんは何かを知っている。もしくは、感づいている。 「くーちゃんはなーんか余所余所しいし、ケンちゃんは無駄にニコニコしてると思ったら急に難しい顔するし」 壊される。このままでは私とお兄ちゃんの平穏が壊されてしまう。手を打たなければ、何か手を打たないと、手遅れになってしまう。でも、どうやって? 325 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 47 26 ID 0lY2Zvwi 私が必死に考えを巡らせていると、突然、小さな唸り声と一緒に、お姉ちゃんは大きな伸びをした。 「・・・くーちゃんは、昔の話、知ってたっけ?」 「昔?」 「知らないかぁ。んじゃ、ケンちゃんが何で怪我したかとかも知らないよね?」 お兄ちゃんの怪我、といえば右足首の怪我のことだ。激しい運動の際には少し痛むらしく、部活のときはサポーターをつけているのを見たことがある。 日常生活にはさほど支障がないようで、普段は気にさえならないが、治るようなものではないと、お兄ちゃんは言っていた。 「事故に遭った、としか聞いてないよ」 「事故かぁ。間違ってはないんだけどね」 お姉ちゃんはそこで、憂いとも慈しみともつかないような、微妙な表情をした。どこか弱々しく感じる微笑みを浮かべながら真っ直ぐと私のことを見据え、話し出す。 「私が小学校6年のころだから、ケンちゃんは3年生だね。夏休みに山登りに行ったんだよ、家族で。富士山とか、あさ、あさ・・・ま、やま?とかみたいにすっごい山じゃなくてね、 小さい、遠足とかで行けちゃうような小さな山だったの」楽しそうに話していたかと思うと、急に下を見て、「家族が揃うの、久しぶりだったからさぁ」と、お姉ちゃんは零した。 「あたしねー、しょーじきに言うと、あの頃はケンちゃんのこと、大っ嫌いだったんだよ」 「ホントに?」 今のお姉ちゃんを見ていると、驚かずにはいられなかった。お姉ちゃんは私以上にお兄ちゃんとスキンシップをとっているし、帰省してきてからはしょっちゅう絡んでいるからだ。 「だって、あの頃のケンちゃん、平気な顔してヒトのことを自分よりも優先するんだよ?」 「今もそうじゃないかな、お兄ちゃんは。それに、それはお兄ちゃんの良いところの1つだよ」 「今はそうだよ?でも、あんなちーさい頃に、ってゆーのは、ちょっとおかしくない?」 想像してみて、確かに、と納得してしまう自分と、流石はお兄ちゃん!、と賞賛する自分とに分かれた。 「だからね、けっこー冷たくあしらってたんだけど、ケンちゃんは今と違って人懐っこくてねぇ。いっつもあたしの後おいかけてきてたんだよー」 「人懐っこい・・・甘えてくるお兄ちゃん」――私に。すごく、いい。 「その日もあたしの後ろから、『おねーちゃん、おねーちゃん』って言いながらピッタリくっついてきててねー。ちょっと、というか、かなりうっとーしくてさ、我慢できなくて怒鳴ろうとしたんだ」 私に甘えてくるお兄ちゃんというのも想像しづらいが、お兄ちゃん相手に怒鳴るお姉ちゃん、というのも中々に難しい。 「山道だったんだよね、それなりの。そこで勢い良く振り返ろうとして、あたしは足を踏み外したの」 「ちょっと待って、事故にあったのはお兄ちゃんじゃないの?」 「うん、そーだよ。怪我をしたのはケンちゃんで、あたしはしてないよ」 「じゃあ」 「ケンちゃんは、あたしを庇って落ちたの」 326 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 47 54 ID 0lY2Zvwi そう言った時のお姉ちゃんの顔は酷く悲しげで、それでいて、とても大切な思い出に触れているような、優しい顔をしていた。それを見ただけでも、彼女の心境が伝わってくるようだった。 足場の崩れたお姉ちゃんを前に、お兄ちゃんは咄嗟にその手を掴み、引いた。体勢を崩しかけていたお姉ちゃんは何とか持ち直し、そのまま前のめりに倒れこんだ。 それと入れ替わるようにして、お兄ちゃんは踏み出した足場が崩れ、斜面を落ちていった。 不幸中の幸いというか、それほど急な坂ではなかったこと、木々や岩が少なかったこと、そして、下がそれほど深くない川でたまたまその日、鮎の放流が行われていたおかげで多くの釣り人がおり、 すぐに引き上げられたことから、命に関わるような怪我は負わずに済んだ。とはいえ、現在まで後遺症が残るような大怪我を負ったのは事実で、当時は数ヶ月ほど入院する羽目になったとのことだった。 しかし、お姉ちゃんの話はそこで終わり、というわけではなかった。むしろ、ここからが本題、いよいよ核心に触れる、といった趣さえ感じられる。 「病室で包帯ぐるぐる巻きになって横たわってたケンちゃんが、あたしになんて言ったか分かる?」私は黙って首を横に振る。「『お姉ちゃんは怪我してない?』って言って、 『お姉ちゃんが無事でよかった』って笑ったの、あの子。想像できる?小学生が、動けなくなっちゃうような大怪我して、泣くわけでも怒るわけでもなく、他人の心配をして笑ってる。 その時に思ったの。この子はきっといつか、こんな風にして死んじゃうんだ、って。自分ばっか損する人生を送って、他人のために死ぬんだ。だから決めた。この子はあたしが守る。 守ってあげなくちゃいけない。もしあの子を傷つけるような人がいたら、あたしは容赦しない」 お姉ちゃんは俯き、少し間を置いてまた話し出す。 今まで見たことのない真剣な表情で私を睨みつけてくる。 「それが例え、くーちゃんでも」 この人は、味方じゃないのかもしれない。 少なくとも、この人は“私の”味方ではない。 327 :Tomorrow Never Comes話 ◆j1vYueMMw6 :2010/09/20(月) 22 48 17 ID 0lY2Zvwi ・・・ 「はい、ケンちゃん」 姉が笑顔でガラスのコップを差し出してくる。礼を言って、それを受け取る。氷の入った、よく冷えたカフェオレからは、明らかにカフェオレとは違う匂いが感じられたが、一応、一口だけ飲んでから判断することにした。 口に含み、舌の上でよく味わい、飲み込む。これはもう疑いようがない。 「姉ちゃんに言いたいことが、2つあるんだが」 「んー?」 「まず1つ、普通カフェオレからきなこの匂いはしない」 「おー、流石ケンちゃん、よく気づいたね。砂糖が切れちゃっててさ、代わりにきなこを使ってみましたー」 「2つ目だ。姉ちゃん、種類にもよるけど、きなこ自体はあんまし甘くない」 「・・・・ふぇ?」 窪塚さんと別れて帰宅した俺を迎えたのは、相変わらず牛のきぐるみパジャマを着た姉だった。どうやら、くるみは眠ってしまったらしい。当然、俺の部屋でだ。 くるみは現在、姉の部屋を自室としているため、必然的に姉の居場所がないということになる。姉の帰省直後にどうするものかと考えていたのだが、父からすぐに、 『姉と同じ部屋』か『一人でリビング』の二択をつきつけられた俺は、迷うこともなく後者を選び、結果、くるみが一時的に俺の部屋を使うことになった。それを告げたときのくるみの輝いた顔は、当分忘れられそうにない。 「あー、そうだ、ケンちゃん」 「ん、どった?」 「れーっつ、かーみんぐあうっ」 「・・・あい?」姉は突然、泡立てをマイクよろしく、俺の口元に突きつけてきている。 「しーくれっ、しんぐす、れーっつ、かーみんぐあうっ」 「日本語でおっけー。っつか泡立てを下げなさい、顔に当たってるから」 いつもよく分からない人だが、今日はいつにも増して意味不明だった。これは骨が折れそうだ。くるみが部屋に篭って眠ってしまったのも分かる気がする。 「姉ちゃん、落ち着いて、1から話してくれ」 何度訊いてもなだめても、姉は妙な態度で妙なことを言うばかりで、結局、10分近く無駄なやり取りを行う羽目になった。俺が根気強く聞き続けると姉はどんどん俯き、小さくなっていく。 「ケンちゃん、何か隠してる」 きなこ味のカフェオレを飲みながら、どうしたものか思案していると、ようやく、姉が口を開いた。 「隠し事あるよね?ねーちんに」 「そりゃあ、隠し事の1つや2つはあるお年頃だし」 「ふざけないで!」姉は急に立ち上がり、机を強く叩いた。怒鳴り声に驚きはしたが、姉の顔から覇気は感じられない。「心配なんだよ・・・っ」 崩れるように椅子に座った姉の目からは大粒の涙が、止め処もなくこぼれていた。それを両手で拭いながら、彼女は話を続ける。 「心配なんだよ、ケンちゃん。ケンちゃんはいっつもそうやって1人で抱え込んで、周りのみんなに負担をかけないように全部自分で解決しようとして・・・知ってるんだよ? そのせいで何回も損をしてきたのも、つらい思いしてきたのも。足の怪我だって・・・・」 彼女が誰よりも家族のことを思っているのは知っていた。だからこそ、俺は自身のことは全部自らの手でどうにかしようと決めていたのだが、どうやらそれも裏目に出てしまったようだ。 「あたしは頼りにならないかもしれないよ?でも、でも、なんだってしてあげるつもりでいるんだよ。家族の、ケンちゃんのためだったらあたしはなんだってできる。だから、ねぇ、頼ってくれて良いんだよ」 顔中を涙で濡らし、しゃっくりを繰り替えしながらも、姉は必死で笑顔を作ろうとしている。 ━━俺は間違っていたのだろうか? ここまで来るまでに、俺は多くの人を巻き込み、言い表せない程に迷惑をかけてきた。だからこそ、この問題は、自らの手で解決すべきだと、そう考えていた。 ━━頼ってもいいのだろうか? ━━弱音を吐いてもいいのだろうか? ━━俺は・・・ A:全てを打ち明ける B:これ以上巻き込むわけにはいかない
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437 名前:フェイクファー 一 ◆4Id2d7jq2k [sage] 投稿日:2012/04/30(月) 22 46 51.94 ID 3LTwNORQ [2/6] 放課後の教室。 教室の壁、机、カーテン、床、そして、俺の正面に立つ少女を、夕日の赤い灯りが濡らす。 「この間から言ってるよね? 私、何て言ったか、覚えてる?ちゃんと聴いてたの」 少女は、そう、声を尖らせ、彼女の少し短めの黒髪を不機嫌そうに触る。 控えめの胸が普段より大きく上下する。 彼女なりに平静を装っているつもり、だがひどく興奮しているらしい――、ことは今までの付き合いの長さから、容易に分かった。 「……楓以外と話さない」 辟易としていることを悟られないように、なるべく無感情に答える。 「そう。そうだったよね!」 そう言って、目の前の少女、木幡 楓(こわた かえで)は彼女の胸の前で手を合わせ、にっこりと笑った。 可愛らしい笑顔だが、今の俺には畏怖の対象でしかない。 「でも、ちょっと違うなー……」 楓は、一歩、俺との距離をつめ、そして、俺の左頬を引っ叩いた。 「私以外の女の子と、が抜けてるよ? やっぱり、秋くん、私の話覚えてなかったね」 左頬が、じりじりと痛む。火傷のように。 熱い。 「……ごめん」 俺がうなだれ、謝ると、楓は途端に眼からぼろぼろと涙をこぼした。 「……うぅっ……ぐすっ……秋くん……、 約束破ったぁ……私……私……うぇぇ……」 今日は、『泣く』か。 怒っていて、それでひどく興奮しているのだ、と思った。 また外が暗くなるまで平手打ちをされるのかと、少し気を張っていた。 興奮しているように見えたのは、泣きそう、だったかららしい。 438 名前:フェイクファー 一 ◆4Id2d7jq2k [sage] 投稿日:2012/04/30(月) 22 50 11.47 ID 3LTwNORQ [3/6] 「ごめん……ごめん……なるべく話さないようにするから」 泣きじゃくる彼女を、抱きしめる。 子どもをあやすように。 頭を撫でる。 少しすると落ち着いてきたのか、嗚咽はやがて、甘い吐息に変わる。 楓は高校二年生であるものの、背が低く、外見は女子高生というより中学生のそれに近い。 高校に入ってすぐ、長かった髪を短く切ったので、近ごろは小学生にも間違えられることもあるらしい。 顔の造作は整っていて、可愛らしい。 形の良い、細く長い眉は彼女のうちに潜む、一途で頑なな意志を表しているようにも見える。 「もう、大丈夫か? 落ち着いた?」 楓の頭を撫でながら、耳元で囁く。 彼女がこうされるのを好きだと、俺は知っている。 「んぅ……、うん。 ……ごめんね、私……秋くんを……」 また、泣きそうな顔になるので、すかさずフォローする。 「良いって。もとより、俺が悪いんだ」 そう言っても、何が良い事か、悪い事か、俺には判断がつかない。 ただ、楓が喜べば、俺は嬉しい。 楓が悲しむと、俺も悲しくなる。 だから、判断がつかなくても、こう言って楓を喜ばせる。 「……じゃあ、もう、他の女の子と話さない?」 頬を俺の胸にすりつけて、楓が言う。 彼女から香る、甘い体臭に頭がくらくらする。 「なるべく」 「それじゃだめ」 楓は頑固だ。 「そうは言っても、絶対は無理だ」 「んぅ……じゃあ、私が仲介する。 ほら、秋くんと他の女の子が話す必要なくなるよ?」 「あのねぇ……」 439 名前:フェイクファー 一 ◆4Id2d7jq2k [sage] 投稿日:2012/04/30(月) 22 52 57.31 ID 3LTwNORQ [4/6] 楓は嫉妬深い。 今まで、他の女子と交際をしたことがないから、 基準はどの程度なのか分からない。だけど、楓は嫉妬深いと思う。 高校一年生の付き合い始めの時は、他の女の子としゃべったくらいじゃどうこう言われることもなかった。 「私、秋くんを信じてるから」なんて、今じゃ到底聞けない台詞を言っていた覚えがある。 きっかけは、まぁ、俺が悪かった。 一度、委員会活動の帰りに、たまたま、女の先輩と帰っているところを、たまたま見られた。 別にやましいことはなかった。浮気なんて大それたことじゃない。 先輩とは仲が良かったから、その時、たまたま一緒に帰っただけだ。 いつも、一緒に帰っているわけじゃない。 俺が弁解しても、楓は受け入れなかった。 それを境に、楓は俺を束縛するようになった。 俺は悪くない。と、憤慨したこともあった。 けど、『ごめんね……秋くん……ごめんね』なんて、楓に泣かれると、昂った気持ちが急激に冷え、 『やっぱり、俺が悪かったかな』という気持ちに変わってしまう。 楓は、ルールを決めよう。と提案してきた。俺はそれを了承した。 最初に、『必ず二人で一緒に帰ること』というルールができた。 そして徐々に、ルールが増えていく。 『寝る前に電話』。『他の女の子との電話禁止』。 『二人でいるときは手をつなぐ』。他にも、色々とあった気がする。 ルールが増えていくのは、楓の嫉妬が深まっていくようで、怖かった。 で、ついにこの間、『楓以外との女の子と会話禁止』とのおふれが出た。 さすがに無茶だ、と思って、俺は半ば本気にしていなかったが、彼女は本気だった。 今までのルールを集約すれば、『楓以外の女の子と関わりを持たないこと』、とできる気がする。 楓に提案したら、本当に採用されそうな……。 俺は、赤星 秋(あかぼし あき)は、 胸に抱いた可愛らしい少女の頭を撫で、 これからのことを想い、小さく溜息をついた。
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444 名前:ツイノソラ4話 ◆wERQ.Uf7ik[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 00 43 22 ID CUtNslec [3/9] ワンボックスカーの後部座席では、ケイがこちらにおしりを突き出した姿勢で膣から精液を垂れ流し、失神している。 全身を赤く染め、時々打たれたようにびくっと震える。 乾いた布で手早くケイの身体を拭き上げ、後始末をしてから僕も眠る。 二人一緒に眠るのは、いつ以来だろうか。 … …… ……… ………… 目を覚ますと時計の針は午前八時を指そうとしていた。 僕の胸に顔を埋めるようにして眠るケイの髪を一つ撫で、締め切ったシャッターの方に視線を向けると、隙間から日光が 射し込むのが見えた。 少し、寝過ごしてしまった。 「ケイ、朝だよ。もう起きて……?」 「んん…」 いやいや、と首を振るケイは捨て置き、僕は着替えを済ませる。 シャッターを開け放ち、とりあえずこの車庫の中を物色する。 スペアタイヤがあったので、まずはそれを確保し、工具箱を失敬する。 工具箱の中にバールがあるのを確認し、僕はニヤリと笑う。あとは日中の探索でガソリンを確保できれば行動の幅は、グ ンと広がる。 しばらく車庫の中を物色し、一番嬉しい掘り出し物は乾電池とジッポーライターだった。 ジッポーはオイルを入れれば使えるし、乾電池に至っては懐中電灯、ランタン……用途は幅広い。 レイスの巣になっていたことで、かえって荒らされずに済んでいたようだった。 そこまでの探索を終えたところで、ケイがのそのそと起き出して来た。 「おはよっ! カナメ!」 全裸でやって来たケイは、ぐっと大きく伸びをする。 愛液と精液の混じった粘性の液体が、つうっと腿をつたう。 ケイは自然な流れでそれを指で掬い取り、口に入れた。 「カナメぇ……お腹すいた……」 それに合わせたように、僕のお腹も、くうっと鳴る。 「……だね」 車庫内の探索を終え、続いて食事の準備に移る。 干し肉や干物等の保存がきく食糧でなく、それ以外の食糧から片付けて行く。 僕らは何でも食べる。トラップを張って仕留めた小動物や野草、木の実、時にはケイが捕まえた昆虫だって食べる。 今朝は野草とキノコを入れたスープと炒り米で朝食を済ませた。 ケイは食事中も全裸のままで、時折股間から流れ出す液体を舐め取りながら、幸せそうな笑みを浮かべていた。 「カナメ……夕べは、すごかった……」 「そう……」 無駄にエロいケイは放って置いて、僕はせっせと食事を詰め込む。 ケイが車庫のワンボックスカーを見て、しみじみと言う。 「あれは、便利なものだっ……」 「知ってるよ」 「大事にしないとなっ!」 「言われなくても、そのつもり」 ケイが、うんうんと頷いた。 朝食を終えるとケイを促して着替えをさせる。 激しい運動の邪魔になる大きな胸にサラシを巻いてやり、続いてレイスの引っ掻きや噛みつきを防ぐため生地の厚い迷彩 服を上下に着させる。僕とお揃いのものだ。 今日の予定は探索だ。必要物資のありそうな場所は昨日の内に目星を付けてある。 護衛をするケイには近接戦闘の可能性がある為、手にはバンテージを巻き、その上に革製のグローブを付けるように命じ る。 「……ブラスナックルとブラックジャックは?」 ここで、鈍いケイも気付いたのか、声色が固くなった。 そう、今日はいつもやってるような探索じゃない。 「必要だよ」 僕は短く告げ、ケイの頬にキスをする。 「……?」 不思議そうに首を傾げるケイに頷いて見せる。 これから行くのは市街地だ。危険を承知で宝探しをするのは僕らだけじゃない。 進んで暗がりに入る必要もある。 第一世代の荒くれに絡まれる可能性もある。 僕らが行くのは市街地。 暗がりにはレイスが。日の照る場所には、ケイが何より嫌う『人間』たちがいる。 自力で生きている以上、他者とのトラブルは避けられない。 445 名前:ツイノソラ4話 ◆wERQ.Uf7ik[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 00 44 04 ID CUtNslec [4/9] ケイと共に車で街の中心部に向かう。 道中、路上に乗り捨てられている車を見て回り、ガソリンの残量がないか確認する。 同じことを考える奴はいくらでもいるようで、中々ガソリンを集めるのは難しいが、お目零しに預かった数台からガソリ ンを入手することができた。 ガソリンスタンドなんてものが機能しているのは一部の強力な自治体か、自衛軍のいるホッカイドウくらいのものだ。 僕がガソリンを抜いている間、ケイが周囲の警戒にあたる。 「ケイ、人間に気を付けるんだよ」 「……」 ケイが厳しい表情で頷く。 馬鹿で淫乱のケイが世界で一番嫌っているのは『人間』だ。 腕力こそずば抜けているものの、知能で劣るケイは『トーキョー』の集落では馬鹿にされ、ずっと差別され続けていた。 度重なる嫌がらせに、ある日、業を煮やしたケイは、六人相手に大立ち回りをやって退け、その内二人が命に関わるほど の重傷を負った。 殆ど追い出される形で集落を飛び出したケイが、途方に暮れている時に出会ったのが僕だ。 差別から孤立していたケイと、思想の違いから孤立していた僕。 第二世代として知能こそ高いが、体力や腕力ではオールドタイプより劣る僕と、第一世代の中でも傑出した運動能力を持 つケイ。ある意味、理想的な組み合わせの僕たちが行動を共にするのは自然な成り行きだったのかもしれない。 最初の内、無言で僕を見つめるだけのケイの視線は猜疑心に満ちていたものの、ホンの数日でその態度はがらりと変わっ た。 「カナメは……優しいなっ!」 別に特別なことをしたわけじゃない。ホンの数日、一緒に暮らしただけだ。 第一世代のケイは僕の三倍は食べる。これは、ケイが大食しているのではなく、第二世代の共通の特徴として、僕は極端 に食が細いのだ。 そんなケイに、僕は惜しみ無く食料を与えた。 腕力があり、おつむはからっきしの彼女は、僕にとっては理想的なパートナーと思えたからだ。 何でも自分で選びたい。誰の制止も受けたくない。自由に行動する僕をケイが守る。 僕がケイに求めたのは、ひたすら我が身の安全だった。その要望に応える彼女の期待に応えるのは、ある意味、僕の義務 とすら言える。 ケイが腹を空かせた時は食事を。寒がれば毛布を。寂しがれば愛情によく似たものを。鬱憤が溜まった時は快楽を与えて やった。 ただ予想外だったのは、ケイは僕が思っていたよりも、強く、馬鹿で、淫乱で、独占欲が強く、残忍だったことだ。 トーキョーを出て、ケイにどのような心理的変遷があったのかは分からない。 ケイは僕以外の『人間』を憎み、嫌うようになった。 午前中は乗り捨てられた車からガソリンを抜いて回る。 警戒状態のケイはストレスが溜まったのか、時折苛立たしげに舌打ちしたり、路上に唾を吐き捨てたりしていた。 「どうしたの、ケイ。苛ついて」 「……見られてるっ!」 言われて僕も周囲を見回すが人気はない。 隠れた場所から監視している。しかし場所の特定には至らない。それが原因でケイは苛立っているのだ。 目を剥いて喚き散らすケイは軽い興奮状態にある。 「いいかげんにしなよ」 ケイのしりたぶを捻り上げ、左右に揺すってやる。 「ぐうううっ……」 痛みを堪える声には、どこか甘い響きがある。ケイは確実にマゾの性癖を開花させつつあるようだ。 「集中するんだ。じゃなきゃ――死ぬよ?」 「!」 死ぬ、という言葉に反応して、ケイの鼻がひくっと動く。 ……ケイは、銃で腹を打たれたことがある。 同行していたのが第二世代の僕じゃなければ、ケイは死んでいただろう。 弾丸は腹膜で止まっていたが、麻酔なしの処置から来る激痛は、物覚えが悪い馬鹿のケイにも解るように強い教訓を垂れ た。 レイスなんかより、生きた『人間』の方が余程始末に負えない。 「脳みそ……撒き散らしてやるっ……!」 呟いたケイの瞳から光が消える。 問答無用の先制攻撃は余計なトラブルの原因にしかならないが、まあいい。そう思うことにする。そこまでの考えは、ケ イには高望みだ。 この終わりかけた世界で生きる以上、最善の道はあり得ない。 あるのは次善の道。それだけ。 446 名前:ツイノソラ4話 ◆wERQ.Uf7ik[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 00 47 11 ID CUtNslec [5/9] ケイにバールを使わせ、門の鍵を破壊して家屋に侵入する。 「ケイは車の見張り」 僕が言うと、ケイは、ぎょっとして目を剥いた。 「あぶないっ! 何考えてんだっ!」 門には鍵がかかっていた。高い確率で、家の中にレイスは存在しない。荒らされてない可能性が高い。……人間がいる可 能性はあるが。 「一人は駄目だろっ、一人はっ!」 「ん、わかった。じゃあ、ケイが行ってきてよ」 レイスも人間も関係なく、ケイに『掃除』をさせる。メリットは、先ず安全を確保できること。デメリットは、中にいる のがまともな人間だった場合でも『掃除』されてしまうこと。 ケイは人間を必要以上に嫌うが、僕はそうじゃない。 まともな会話が可能な人間からは情報交換が可能だ。物資は貴重だが、情報ほどじゃない。……過去にケイを捨てようと した理由の一つでもある。 「あーっ、もうっ! ああ言えばこう言う!」 ケイが、ばらばらに切り揃えた髪をかき回す。……これもそのうち、きちんとカットしてやらなければならない。 僕は車の有用性を解き、個別での行動の必要性を解いた後、ケイに選択を迫った。 『掃除』をするか、『見張り』をするか。 僕が無理に決めれば、ケイは独断で行動に走る。だから、ケイに決めさせる。重要なことだ。 ケイはしばらく迷っていたが結局は、 「……見張りをする……」 という決断をした。 ……残念。『掃除』に行ってくれれば、今度こそ捨てられると思っていたのに。 そう、やはりあるのは次善の道……。 △▼△▼△▼△▼ 家屋に侵入する。 不幸か幸運か、人間もレイスも存在しないようだった。 埃と黴の匂いがする廃屋で、僕は必要物資を回収して回る。 大戦以降も人が住んでいたのか、思ったより良質な品物を回収することができた。 浴室ではギフトの箱詰めになったままの石鹸を手に入れることができたし、キッチンでは塩素や中性洗剤を手に入れた。 これは大当たりかもしれない……。 その思惑の正しさを証明するかのように、家屋からは有用な物資が大量に見つかった。 衣服は大分傷んでいたが、ウエス(きれはし)にすれば、ふき取りなんかに使える。棚からはまだ食べられそうなフルー ツの缶詰を見つけた。 ケイの様子身を兼ね、それらの物資を次々と車に運び込んで行く。 三回程往復を繰り返し、取り切れない物資はまとめて押し入れの奥に隠す。 寝室で見つけた貴金属の類いも攫って行く。こんな時代だが需要はある。『メトロポリス』に住む一部の富裕層は装飾品 に目がない。持って置けば物々交換に使えるし、うまく行けば通貨を手に入れることが出来るかもしれない。 そこで、屋外から大きな物音と男たちの怒声が聞こえた。 447 名前:ツイノソラ4話 ◆wERQ.Uf7ik[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 00 48 57 ID CUtNslec [6/9] ようやく来たか。 僕は慌てることなく、既に組み立てていたボウガンを手に取り二階へ向かう。 窓から見下ろすと、既に二人の男がケイに頭を割られて倒れていた。三人ほどがケイを取り囲み、残る二人が車ごと物資 を奪おうとしていた。 物資を奪おうとしている二人を優先して、ボウガンで狙いを定め、射殺する。 「ケイっ! 一人は殺すな!」 話がしたい。その思惑からの指示だが、僕が行かない限り、望み薄だろう。 襲撃者の人数がはっきりしない。そのため僕は慎重に階下に向かい、ケイの元を目指す。 玄関のところであたふたとして、家屋の中とケイを見比べている馬鹿を発見したので、物陰からボウガンの矢を見舞って やる。 第二世代の僕の駄目な所は、腕力行使による生け捕りができないということだ。 これまで何人くらい殺した? 数えたことはないが、ケイより多いのは確かだ。 駐車してある路上では、ケイが既に二人を倒し、半ば戦意を喪失して後込みする様子を見せている二〇代半ば程の男に向 かって鉄パイプを構え、威嚇しているところだった。 ――間に合った。 「殺すっ! 殺すっ! 脳みそ、ぶち撒けろっ!」 対峙する男は、年齢から察するに旧世代の人間……『オールドタイプ』だろう。若干、第一世代の可能性があるが、それ はないと思う。 「やっ、やめっ! 分かった! 俺たちが悪かった! 降参する!」 そんなことを叫びながらも、男は手にしたナイフを放そうとはしない。 「ケイ、腕をへし折ってナイフを奪うんだ」 一瞬、僕に視線を走らせた後、ケイが鉄パイプを振るう。 男はそれに殆ど反応できず、折れ曲がった腕を抱えて悲鳴を上げた。……やはり、オールドタイプの人間だ。第一世代な らこう簡単には行かない。 興奮したケイが、とどめを刺してしまう前に割って入り、転がるナイフを蹴っ飛ばす。 「どけ、カナメッ!」 退くもんか。ケイ以外の生きた人間と会話するのは久しぶりだ。この機会を逃す訳には行かなかった。 448 名前:ツイノソラ4話 ◆wERQ.Uf7ik[sage] 投稿日:2012/05/05(土) 00 49 30 ID CUtNslec [7/9] 指の骨を七本ほど折った所で、彼は正直者になった。 最初、仲間が後三人残っているとほざいていたが、結局は仲間はもういないと白状した。 更に、彼らのアジトの場所と構成員の情報を聞き出した頃には、彼の関節が倍以上に増えてしまっていたのは、僕にとっ ても彼にとっても悲しいことだった。 ケイは喜々としてオールドタイプの彼を痛め付け、僕は同じ質問を何度も繰り返した。 拷問をしている間、誰も助けに来なかった事からして、ここに彼の味方は、もういないというのは本当のことのようだっ た。 二時間程の尋問の後、ケイにとどめを刺すよう指示した時、彼が、ほっとしたように安堵の表情を浮かべたのが酷く印象 的だった。 罪悪感はない。一歩間違えば、僕は同じ目に、ケイはそれ以上に酷い目に遭っていただろうことは間違いないだろうから 。 「さよなら」 僕が告げて、ケイが鉄パイプを振り落ろす。 時刻が昼を過ぎていたことから、この日の探索を断念する。どうせ、急ぐ旅じゃない。それに僕は虚弱な第二世代だ。少 し疲れてしまった。 「カナメ、これからどうする?」 「そうだね……今日はもう、ゆっくりしようか……」 頑張ったケイを座らせ、返り血に汚れた顔を拭ってやる。 ケイは深く溜め息を吐き、それからゆっくりと、緊張を解いた。 「カナメは優しい……わかってる……」 「……」 それはどうだろう。 僕は答えることはせず、ケイに柔らかな笑みで答えるのだった。 △▼△▼△▼△▼ 北に向かって二時間ほど車を走らせる。 僕の知識が確かなら、ここはニイガタで、そろそろニホンカイに出るはずだった。 知性と理性に優れる第二世代の最も高い死亡原因は――自殺。 高い知能と理性の行き着く先は、未来への絶望と生の放棄なのだ。 僕も時々は考える。 生きていてどうなる? 海は濁り、汚染された雨の降るこの世界が、いつまで持ちこたえられるというのだ。 自衛軍? 馬鹿馬鹿しい。奴らが『レイス』を研究して、どれだけのことが分かった? 第一、第二世代が、なぜ存在する? それ に答えられないのが、奴らの限界じゃないか。 子孫……? どうせ死ぬ。そんなことに何の意味が―― 「――海だっ!」 ケイのその声に、はっとして強く頭を振る。 ――考えるな! 朗らかに笑うケイに笑みを返しながら、濁った海と曇った空とを見比べる。 「終わる世界……か」 負けてやらない。精一杯の意地を張り、僕は―― 「潮の匂い……カナメっ、一緒に遊ばないかっ!?」 窓から身を乗り出して言うケイの様子に、思わず吹き出してしまう。 余計な力が肩から、すうっと抜けて行く。 「それもいいね」 僕は――僕らは、確かに今日を生きている。